絵馬

神社や寺院に奉納する、絵が描かれた木の板 From Wikipedia, the free encyclopedia

絵馬(えま)は、神社寺院に祈願するとき、あるいは祈願した願いが叶ってその謝礼をするときに社寺に奉納する、絵が描かれた木製の板である。

絵馬(厳島神社)

概要

小型の絵馬を掛ける絵馬掛(奈良県岡寺

個人で奉納するための絵馬として、小型でなどの絵が描かれて余白や裏面に祈願の内容や氏名などを書くものが、社寺で販売されている。大人数で奉納する絵馬は大型で、画家に描かせるなどして奉納者が用意することもある。小型の物については東日本五角形(家型)の物が多いが、これはかつて、板の上に屋根をつけていた名残である。近畿地方では四角型が主流だが、京都府では横長の板に額縁のように枠を付けたものが多く、奈良県では縁を黒く塗って枠に見せたものが多く見られる[1]

絵馬の奉納は個人的な動機による神仏への願掛けであり、かつては人に見られない時間帯を選んで行われた。また、今日のように絵馬に実名を記すことはなく、「寅歳女」のように生まれた干支と性別のみを記した[1]

歴史

長岡京出土 土馬
京都市考古資料館展示。
現在も奉納される神馬(山梨県富士吉田市 冨士山下宮小室浅間神社

我が国では古くから馬は神の乗り物として神聖視されてきた。神霊は乗馬姿で人界に降臨するものと考え、祭の神幸に神輿が用いられるようになる以前は、鏡をとりつけた榊を神霊の依代として、馬の背に立てて勧請をおこなうのが普通であった[2]。賀茂祭(葵祭)の前儀はその信仰をよく今に伝える。賀茂御祖神社(下鴨神社)の御蔭祭では、御蔭山から神霊を迎えるのに錦蓋を神馬の背に覆う。また賀茂別雷神社(上賀茂神社)の競馬会神事(賀茂競馬)は神霊が馬に乗り移って勝った方に神意が作用する吉兆をもたらすという占いである。神霊を和らげまつり祈願のため、祭に馬が奉納され神馬として飼われる神馬舎が今も賀茂別雷神社などに残っている。 常陸国風土記によれば、崇神天皇の代より神事の際に馬を献上する風習が始まったとされる。奈良時代の『続日本紀』には、神の乗り物としての馬、神馬(しんめ、じんめ)を奉納したと記される。一方、馬を奉納できない者は次第に木や紙、土で作った馬の像で代用するようになり、奈良時代からは板に描いた馬の絵が見られるようになった[1]。一例として、奈良市の日笠フシンダ遺跡から天平10年(738年)と記された木簡と共に絵馬が出土している[3]

平安時代

平安時代には神仏習合思想が普及し、観世音菩薩も騎乗して示現するという説が広まることで神社だけでなく寺院にも絵馬を納める風習が及んだ[1]。平安末期の絵馬は共同体が合同で小型の絵馬を納めることが主流だった。

室町時代

室町時代になると扁額式の大絵馬が現れ始める。モチーフも馬だけでなく様々な絵が描かれるようになった。初期の例として、例えばを使いとする稲荷神社では狐の絵が描かれることもある。また他にも、三十六歌仙肖像武者絵、祈願の対象である文殊菩薩を描いた例などがある。この時代の小型絵馬は、今日同様に現世利益を求めて個人が納めることが主流となっている[1]

安土桃山時代

安土桃山時代になると、狩野派長谷川派海北派など著名な絵師による本格的な絵馬が人気となり、それらを展示する絵馬堂も建てられた。絵馬堂は今日の美術館のような役割を果たし、絵師たちが技を競うとともに、展示される絵のイメージが人々に共有されるなど、新たな作品を生む原動力をもたらす場であった。

江戸時代

江戸時代ごろから、家内安全や商売繁盛といった実利的な願いをする風習が庶民にも広まり、奉納の動機や絵馬のデザインも多様になった[1]

曾我蕭白[4]などの絵師による絵馬、葛飾北斎[5]などの浮世絵師による絵馬(肉筆浮世絵)の他、眼病予防に「め」および左右逆の「め」を書いた絵馬や、夫の浮気防止に「心」の字に鍵をかけた絵を描いた絵馬もある。和算家は、自分が解いた問題の解法を書いた算額という絵馬を奉納し、日本武術では剣術柔術棒術などで薙刀木刀を門人の一覧に付した絵馬を奉納した。

現在の福島県福島城下周辺の社寺には、福島藩主による絵馬を奉納する伝統が残っており、堀田氏により1枚、板倉氏により27枚が奉納されている。[6]

また17世紀前期より海運の発達とともに、船主や船乗りなどのあいだで住吉信仰や金毘羅信仰が高まり、航海の無事を祈願するため、自分の船を描いた船絵馬を奉納する風習が見られるようになった。初期の朱印船の絵や江戸後期の写実的な絵など、日本の船舶史を研究する上で重要な図像資料となっている[7]

近代

明治時代以降、多人数で奉納する大型の絵馬について、「伊勢神宮参拝記念」「戦勝祈念」(明治時代~敗戦まで)「厄除け祈願」「子供(特に男子)の誕生を記念して」「干支」など様々なバリエーションが生まれた。長田神社ではアカエイの絵馬が明治25年(1892年)以降に始まっている[8]

昭和以降は、学問の神として菅原道真を祀った天満宮福岡県太宰府市など)に受験生が合格祈願の絵馬を奉納する風習が盛んになった。白蛇など縁起物の動物や、祭りの風景など馬とは関係ない絵馬も多く作られ、社寺の縁起物として、また、お守りとしても人気を博している。2000年代中頃から個人情報保護のため、願い事や住所および氏名の部分にステッカーを貼ることができるようになった絵馬も登場する。

現代

社寺で授与される小型の絵馬に願いを書き入れる風習が盛んになる一方、本来の自ら製作した大型の絵馬を奉納する伝統は今も継承されている。例えば日本文化構造学研究会は、国内外の画家や書家と協業し学識と芸術を融合した干支絵馬を継続的に奉納し、その絵画や書は 御朱印 にも採用されている。特に2026年 午年には、絵馬の原点である神の乗り物としての神馬を描いた絵馬を奉納。正月は、拝殿である細殿で絵馬が特別公開され、絵馬の書画をデザインに用いた神馬御朱印も期間限定で特別に授与されている。

  • 2023年、賀茂別雷神社への「賀茂競馬 930年記念絵馬」奉納、阿倍王子神社への「龍 絵馬」奉納を契機とし国際絵馬奉納と御朱印プロジェクトを開始。賀茂別雷神社八坂神社に国内外の画家・書家と協業した大型の干支絵馬奉納と御朱印採用により、神道と陰陽五行思想の関係など日本文化を学術的な芸術として表現している。
  • 2024年7月、八坂神社に青龍の絵馬を奉納 ( 平安京創始の四神相応で、東の当地を守護する聖獣が青龍で、辰年に奉納 )[9]
  • 2024年11月、上賀茂神社に玄武の絵馬を奉納。( 同様に、北の当地を守護する聖獣が玄武(蛇と亀)で、翌年 巳年のために奉納 )ギリシャを拠点に活躍中の国際的書家・今村みづきが揮毫、奉納協力[10]
  • 2025年12月、上賀茂神社と八坂神社に神馬の絵馬を奉納。台湾、ヨーロッパなどで活躍中の国際的書家・川尾朋子が揮毫、元展美術協会理事長 幾田 邦華 が日本絵画で奉納協力。絵馬の書画は干支午年の御朱印として特別限定授与。[11][12]


様々な絵馬

巨大絵馬

和気神社の日本最大とされる絵馬

正月に「巨大絵馬」「ジャンボ絵馬」「大絵馬」と呼ばれる大型の絵馬を飾る神社もある。

痛絵馬

アニメ漫画ゲームソフトの舞台として登場した神社や寺院では、聖地巡礼の一環として、作品に登場するキャラクターを描いた痛絵馬が多く奉納される傾向がある。町おこしのきっかけになった例もある。また萌えキャラファンの男性だけではなく、戦国武将など歴史好きの女性(歴女)にも痛絵馬は広がっている[16][17][18]

画像一覧

絵馬市・絵馬屋

脚注

参考文献

関連項目

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