Wikiwand AI

福地健治

From Wikipedia, the free encyclopedia

本名 福地 健治
国籍 日本の旗 日本
福地 健治
基本情報
本名 福地 健治
階級 ウェルター級
国籍 日本の旗 日本
誕生日 1931年1月15日
出身地 東京都
死没日 (1989-09-24) 1989年9月24日(58歳没)
スタイル 右ファイター
プロボクシング戦績
総試合数 71[1]
勝ち 44
KO勝ち 13
敗け 11
引き分け 6
無効試合 10EX
テンプレートを表示

福地 健治(ふくち けんじ、1931年1月15日 - 1989年9月24日)は、日本の元プロボクサー、元プロボクシングトレーナー。東京都出身。元日本ウェルター級(2度獲得)、OBF東洋ウェルター級(2度獲得)王者。現役時代は王子拳道会(1954年より帝拳ボクシングジムへ改称)所属。

日本ボクシング史に残る福地3兄弟の長兄で[1][2]、左右のフックを得意とした。天才というより地道な努力型で人間味にあふれ、奪われた王座はすぐに奪い返し、帝拳黄金時代を担う1人であった[2]。JBCレフェリーの福地勇治は長男である[3]。

来歴

1948年7月24日、プロデビュー戦で判定勝利を収めた。1950年12月15日、第8回東日本フェザー級新人王トーナメント決勝戦で金子繁治(笹崎)に4R判定負けを喫し、1955年4月19日には大阪府立体育館で松山照雄(大星)の持つ日本ウェルター級王座に挑戦したが、判定負けを喫した。

日本王座獲得

1956年2月28日、大阪府立体育館で松山照雄に再挑戦し、判定勝利により日本ウェルター級王座を獲得した。同年10月3日、後楽園ジムで松山を迎えての初防衛戦に7RKO負けを喫し、王座を失った。

1957年8月2日、大阪府立体育館で松山に8RKO勝利を収め、日本ウェルター級王座を奪い返した。

東洋王座獲得

同1957年11月20日、5年近く王座に君臨したソムデス・ヨントラキット(タイ)に判定勝利を収め、OBF東洋ウェルター級王座を獲得した。この試合は年間表彰で、1957年度の年間最高試合賞を受けた。

1958年6月10日、後楽園ジムで沢田二郎(新和)に判定負けを喫し、日本王座を失った。

同1958年10月8日、沢田を迎えて東洋王座の初防衛戦を行い、判定で引き分けて王座を守った。1959年5月12日、スティーブ・トニー(フィリピン)に初回KO勝利を収め、同王座の2度目の防衛に成功し、同年11月5日、ムアンチャイ・TRO(タイ/1969年にジャガー柿沢と対戦したムアンチャイ・モンクトペッチと同じ選手)を迎えての3度目の防衛戦では判定で引き分けて同王座を守った。1961年1月2日、ムアンチャイ・TROとの再戦に判定勝利を収め、同王座の4度目の防衛に成功したが、同年12月16日、フィル・ラバロ(フィリピン)を迎えての5度目の防衛戦で大差の判定負けを喫し、この東洋王座を失った。

1962年7月2日、後楽園ジムでラバロと再戦。4Rに3度のダウンを喫して朦朧としながらも反撃を続け[2]、同じ4Rにダウンを奪い返す反撃で最終的に判定勝利を収め[1]、OBF東洋ウェルター級王座を再獲得した。しかしこの4度目の戴冠試合を最後に、1963年2月26日に同王座を返上して現役引退した。

引退後は一時期、帝拳ジムのトレーナーを務め鈴木信行を指導。1989年9月24日、病気により死去した。

獲得タイトル

  • 第10代日本ウェルター級王座(防衛0)
  • 第12代日本ウェルター級王座(防衛0)
  • 第2代OBF東洋ウェルター級王座(防衛4)
  • 第4代OBF東洋ウェルター級王座(防衛0)
受賞歴
  • プロ・アマチュア年間表彰
    • 1957年度プロ部門殊勲賞
    • 1957年度プロ部門年間最高試合賞(OBF東洋ウェルター級タイトルマッチ)
    • 1959年度プロ部門敢闘賞

参考文献

関連項目

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks