福富達
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経歴
1951年、早稲田大学政経学部在学中に読売新聞社入社[1]。最初は横浜支局配属となって警察回りからキャリアをスタート[1]。大学の方は引き続き聴講生として在籍した後、1952年6月に卒業[1]。その後東京本社へ移籍し政治部記者として活躍[1]、首相官邸記者クラブのキャップを務める[1]。
1973年に政治部先輩である渡邉恒雄の著書『大臣』を参考に、『大臣への挑戦 : その魔性と権力』を刊行する[2]。 政治部長昇進を目前とした1974年春に読売新聞社を退社し、系列の日本テレビ放送網に移籍[1]。解説委員会副委員長として「NNN JUST NEWS」のメインキャスターを務め、1976年に解説委員長に就任する[3]。記者・キャスターとして、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘の歴代政権を取材した[4]。 久米宏、横山やすしと共演した「久米宏のTVスクランブル」では、コメンテーターとして「床屋政談」を担当、中学生、高校生、若い有権者向けに政治をわかりやすく解説した[5]。その後、解説委員会主幹を担当した。
久米宏のTVスクランブルの第一回放送で、自由主義陣営の首相や大統領が、中国を訪問して帰国した後、スキャンダルで失脚したり、選挙で落選したり、病気で死んだりして、その地位を失うというジンクスがあることを紹介した。ウォーターゲート事件が発覚したアメリカのニクソン大統領、金脈問題に巻き込まれた田中角栄首相、内臓の病気で亡くなったフランスのポンピドー大統領、訪中後の総選挙で敗退したカナダのトルドー首相、北京を親善訪問翌十月の大統領選挙でカーターに敗れたアメリカのフォード大統領、訪問翌1980年6月の衆参同日選挙の最中、心臓病で倒れ現職総理で亡くなった大平正芳総理、訪中翌年五月の大統領選挙で社会党のミッテラン書記長に苦杯を喫したフランスのジスカールデスタン大統領の例を挙げ、鈴木善幸首相も危ないのではないかとコメントした。その放送二日後に再選確実と思われていた鈴木善幸首相は辞任を表明した[6]。