福山市立城西中学校
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| 福山市立城西中学校 | |
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北緯34度29分55秒 東経133度19分33秒 / 北緯34.498556度 東経133.325778度座標: 北緯34度29分55秒 東経133度19分33秒 / 北緯34.498556度 東経133.325778度 | |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 福山市 |
| 設立年月日 | 1980年4月1日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 学期 | 3学期制 |
| 学校コード | C134210002024 |
| 中学校コード | 340103[1] |
| 所在地 |
〒720-0092 広島県福山市山手町3000番地 |
| 外部リンク | 公式サイト |
校名の由来
- 福山城跡の西方にあることから。
概要
- 福山市山手町の西側の山の中腹にあり、学校は芦田川の土手からも見ることができる。
- 学校は標高70~80mのところに建設されており、学校からの福山市内の眺めも良い。
- 学校の背後(北側)には福山西太陽霊苑がある。更にその北の地下には山陽自動車道山手トンネルがある。
- 学区はかつては田園地帯だったが、1970年代以降山手町については市営住宅や県営住宅の建設、一部地区の区画整理実施により住宅地へと変貌を遂げた。1980年代初頭の福山市立城西中学校と福山市立山手小学校の開校はそれで人口が増加したことに伴うものである。
- 現在の学区は山手橋しか福山市中心部に通じる道路がない、西方(赤坂・松永方面)に抜ける道が未整備のままである、スプロール現象が著しいといった問題を抱えているが、山手橋の架け替えや広島県道378号御幸松永線のバイパスと位置付けられる都市計画街路山手赤坂線が完成すれば新たな展開が期待されるところである。
学区
学区の地理
アクセス
備考
- 福山市郷分・山手両町を学区とする中学校は実はこの福山市立城西中学校が初めてではない。1948年4月にこの地区を学区とする福山市立第四中学校(初代)が開校したのだが、わずか1年後の1949年4月に福山市立城北中学校と統合して同校の山郷分校になり、1953年に廃校になったのである(福山市立第四中学校はその後名称のみ福山市草戸町に開設された中学校に移り、それは後に福山市立鷹取中学校と改称して現存する)。わずか5年で廃校になった背景には生徒数が思ったほど多くなかったこと(郷分・山手地区は1942年7月1日福山市に編入)や第二次世界大戦末期の1945年8月8日深夜の空襲(福山大空襲)で市街地のほとんどが焦土と化した福山市の復興に多くの費用がかかり、存在効果の少ないものから合理化しようという方針があったことが考えられるが、当時は福山市が広島県東南部最大の都市に成長し、50万人近くまで人口が増加するとは誰も考えていなかったであろうから致し方ない問題だったと言える(こういう例は福山市内では他にもある)。福山市立第四中学校→福山市立城北中学校山郷分校の跡地は現在広島県立福山高等技術専門校の敷地になっているが、跡地を示すものは同校校門脇の小さな看板だけである。
- この福山市立城西中学校開校をもって福山市内に城東・城西・城南・城北と「城+方位」の名称の福山市立の中学校が揃うことになった。
