上七軒のお茶屋の娘として生まれ、母は芸妓だった。5歳から舞踊をはじめ三味線等の諸芸を習い、1956年(昭和31年)、芸妓として店出し(披露)した。1963年(昭和38年)、「北野をどり」で役をもらい、男舞などを披露し、歌手にもなった。
だが40歳のころ、脳血栓で倒れ、命に別状はなかったが麻痺が残った。彼女は厳しいリハビリに励み、1989年(平成元年)、南座で開催された踊りの会で復帰を果たした[1]。芸妓としての活躍が評価され、2012年(平成24年)、京都伝統技芸振興財団より伝統技芸保持者に認定された。