仏教伝来以来、その拡大とともに各地で寺院が建立された。勿論、当時は私寺が圧倒的であった。私寺に制約が設けられたのは、大宝律令で「僧尼令」が定められて僧尼が私に寺院や道場を建立する事を禁じて以後である。もっとも、それ以外の寺院建立は全く禁じられていなかったことから、貴族や豪族が氏寺を建立して僧を招いたり、僧尼のために民間が施主となって彼らの名義によって寺院や道場を建立することが行われていた。朝廷はこれを表向きは取締りの対象としたものの、鎮護国家を標榜する朝廷にとって仏教の布教につながる私寺建立を妨げることは一種の矛盾であり、実際にはほとんど規制されなかったと考えられている。行基や良弁が多くの寺院を建立できたのもこうした抜け道が存在したからであると考えられている。当時、朝廷は表向きにはこうした私寺を「道場」として扱って公式な寺院とは認めない態度を取った。