秋丸次朗

From Wikipedia, the free encyclopedia

死没 1992年
最終階級 陸軍主計大佐
秋丸 次朗
あきまる じろう
生誕 1898年
日本の旗 日本宮崎県西諸県郡飯野村(現・えびの市
死没 1992年
所属組織 大日本帝国陸軍
最終階級 陸軍主計大佐
指揮 秋丸機関(陸軍省戦争経済研究班)班長
出身校 陸軍経理学校
テンプレートを表示

秋丸 次朗(あきまる じろう、1898年 - 1992年)は、日本の陸軍軍人主計)、政治家。軍人としての最終階級は陸軍主計大佐。太平洋戦争開戦前の1940年昭和15年)に陸軍省内に設置された「秋丸機関」(正式名称:陸軍省戦争経済研究班)の班長を務め、日本アメリカをはじめとする主要国の経済力を比較分析したことで知られる。

宮崎県飯野村(現・えびの市)出身[1]

陸軍経理学校を首席で卒業後、東京帝国大学経済学部に派遣され経済学を学んだ。満州国では関東軍参謀部付として経済建設に携わり、満洲産業開発五カ年計画などに参画した[2]

1939年(昭和14年)9月ノモンハン事件第二次世界大戦勃発を受けて帰国。岩畔豪雄大佐の意向により、陸軍省経理局内に新設された戦争経済研究班(対外的には「陸軍省主計課別班」)の主任(班長)に任命された[3]

秋丸機関

経済学者有沢広巳中山伊知郎ら)を動員し、日本・アメリカ・イギリス・ドイツ・ソ連などの経済力・工業力・資源力を統計的に比較。また、当時ニューヨークに派遣されていた陸軍主計大佐の新庄健吉の調査とも合わせた結果、主な結論は以下の通りとなった。

  • 日本が英米と戦争をする場合、経済戦力比はおおむね「1:20」程度
  • 開戦後2年間は備蓄で抗戦可能だが、その後は格差が拡大し持久戦は困難

この報告は当時の軍上層部に受け入れられず、開戦への流れを止めることはできなかった。秋丸自身は晩年(81歳時)に「軍部は開戦不可避と考えており、消極的平和論には耳を貸さなかった」と回想している[1][4]

戦後、一部で「報告書は全て焼却された」との通説があったが、近年、東京大学をはじめとする複数の機関で資料が確認されており、「幻の報告書」説は修正されつつある[3]

戦後

戦後、公職追放を受けたのち、故郷で飯野町長を2期務め、その後えびの市の社会福祉協議会会長を13年間務めた[1]

参考文献

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI