谷村藩主・秋元泰朝の次男として誕生した。
寛永11年(1634年)7月の徳川家光上洛に同行。寛永12年(1635年)9月3日より御傍に近侍する。寛永15年(1638年)12月30日、従五位下・隼人正に叙任される。寛永17年(1640年)4月10日に相模国高座郡で1000石を、正保元年(1644年)4月26日には上総国天羽郡・望陀郡で更に3000石を与えられ、4000石を領し、御側に准ぜられる。
慶安3年(1650年)9月28日に33歳で死去。法名は英長院殿性盛元心大居士[1]。甲斐国谷村の泰安寺に葬られた後、群馬県前橋市の光巌寺に改葬された。