秋吉宗鎮
From Wikipedia, the free encyclopedia
熊本県に生まれる[1][2]。1914年に京都府師範学校本科を卒業。1920年に文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験合格。中田章、吉田恒三、ブロヒン、パチに師事した[1][4]。クラシック音楽の黎明期である大正から昭和にかけて、岡山県岡山市、広島県福山市を中心に日本のクラシック音楽の発展を支えた教育者の一人である。
代表的な教え子に、二期会の創立者のひとり柴田睦陸がおり、柴田が歌手を志した当初から上京するまで指導・支援した。
昭和14年には福山音楽協会設立の顧問となり、福山音楽コンクールの設立に関わっている[5]。このほか数多の音楽家の指導、学校音楽教育、作編曲、音楽団体やコンクールの設立などに関わっていたとされるが、現存する文献・情報が少ない。
柴田睦陸との関わり
主な親族
昭和初期の音楽教育
昭和初期の音楽教育の様子がわかるエピソードとして、昭和6年、秋吉が音楽教員として招かれた広島県立福山誠之館中学校(現:広島県立福山誠之館高等学校)において、音楽科実施にあたって講堂の一部に衝立をめぐらせて音楽教室とし、オルガンと唱和用黒板を用いて教授を行っていたという[9]。