秋葉瑠世
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| あきば りゅうせい 秋葉 瑠世 | |
|---|---|
| 本名 | 秋葉 瑠世 |
| 生年月日 | 1995年1月21日(30歳) |
| 出生地 |
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| 身長 | 168 cm[1] |
| 血液型 | Rh+B型[2] |
| 職業 | 俳優・タレント |
| ジャンル | バラエティ、映画、舞台、CM |
| 活動期間 | 2005年 - 2013年 |
| 事務所 | フラックスファイブ→エイベックス→スリーアローズ→ジャニーズ事務所 |
| 公式サイト | https://www.boostar-69.com/team-boostar |
| 主な作品 | |
| 「テストの花道」・「ジャニーズJrランド」・「ハブと拳骨」・「マクドナルド」 | |
| 秋葉瑠世 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1995年1月21日(30歳) |
| 出身地 |
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| D1グランプリでの経歴 | |
| デビュー | 2021 |
| 所属 | Z CHALLENGER × BOOSTAR |
| 車番 | 69 |
| 過去所属 |
Team BOOSTAR VALINO Team BOOSTAR |
| シリーズ最高順位 | 14位 (2021年) |
| 過去参加シリーズ | |
| 2016 2015-2016 2018 |
フォーミュラ・ドリフト ジャパン D1ストリートリーガル D1ライツ |
| 選手権タイトル | |
| 2015 | 全日本学生ドリフト王座決定戦(東大会) |
秋葉 瑠世(あきば りゅうせい、1995年1月21日 - )は、神奈川県横浜市出身のレーシングドライバー、元俳優、元タレント、元ジャニーズJr.。現在はD1グランプリに参戦している。
俳優・タレントとして
病院でのスカウトをきっかけに2004年6月、フラックスファイブに入所、映画『ハブと拳骨』で子役デビューする[3]。2005年エイベックス・マネジメントに移籍する。2006年スリー・アローズ・エンターテイメントに移籍[2]。主にCMやドラマなどに出演する。
2007年3月に横浜市立牛久保小学校を卒業[2]。同月にフィジー共和国に留学し、Namaka Public Schoolに入学[2]。2008年2月にニュージーランドのGisborne Boys' High Schoolに入学[2]。2010年4月に日出学園高校の芸能科に入学[2]。同年10月、ジャニーズ事務所に入所し[2]ジャニーズJr.として芸能活動を再開する。2012年、NHK Eテレ放送の教育番組『テストの花道』やBSスカパー!『ジャニーズJr.ランド』にレギュラー出演[2]。
2013年1月にNHK Eテレ放送の教育番組「テストの花道」内の自身のブログで、「将来は必ずレーサーになりたい」とコメントし、2013年4月にジャニーズ事務所を退所[2]。
2013年4月、目白大学外国語学部英米学科に入学[3][2]。
レーシングドライバーとして
幼い頃から車が好きで、小学1年生の時にD1ドライバーの助手席に同乗した事がきっかけでドリフトに興味を持つ。
2013年3月に免許を取得し[2]、ドリフトの練習を始める。
2015年5月2日に鈴鹿ツインサーキットで行われたD1ライセンス選考会で3位となり、D1ストリートリーガルへの出場権を獲得する。さらに同年8月25・26日に開催された全日本学生ドリフト王座決定戦では東大会優勝、東西統一戦で3位という成績を収めた。同年の10月、レース活動に専念するため目白大学を中退[2]。
2016年にはフォーミュラ・ドリフト・ジャパンにチーム「RYUSEI × RASTY × HKY」としてスープラ(JZA80)で、D1ストリートリーガルにチーム「HKY with R.Y.O JAPAN」として180SXで参戦した。
2018年、チーム「Nichiei racing GOODRIDE」S15シルビアでD1ライツに参戦。開幕戦の日本海間瀬サーキットでは準優勝を果たした[4]。また同年10月にはドリフト系セレクトショップである「BOOSTAR-69」を開業し、ドリフト走行向けの部品の販売を行っている。
2019年には韓国やマレーシアのドリフトイベントにも参戦した[2]。
2021年は自身のチームであるBOOSTAR RACINGからS15シルビアでD1グランプリにスポット参戦[5]。新型コロナウイルスで延期され事実上の最終戦となった第6戦エビスでは参戦後初となる追走進出を果たした。
2022年も引き続きBOOSTARからS15シルビアで参戦し、シリーズ総合14位でシーズンを終えた。
2023年はシーズン序盤から中盤にかけて苦戦しノーポイントが続いたものの、第7戦オートポリスでは久しぶりに追走進出し7位、翌日同コースで行われた第8戦では準優勝を果たした[6]。
2024年は活動の舞台をD1GPからドリフトマスターズヨーロピアンチャンピオンシップ(DMEC)に移した。また、アイルランド、リトアニア、ポーランドなど、ヨーロッパ各地のドリフトイベントにも出場した[7]。
2025年も引き続き海外を中心に活動し、アイリッシュドリフトシリーズ(IDS)では第1戦、第2戦、第5戦で準優勝を果たしている[7]。