竇夢徴

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竇 夢徴(とう ぼうちょう、生年不詳 - 931年)は、五代十国時代官僚本貫同州[1]

若くして苦心して文章を作り、進士に及第した。校書郎を経て、拾遺から翰林学士となった。後梁貞明年間、呉越銭鏐が元帥に任命されると、夢徴は銭鏐に中原での功績がないことから、兵権を与えるべきではないと末帝に諫言した。このため末帝の猜忌に触れ[1]蓬萊県尉に左遷された[2]。しばらくして召還され、再び翰林学士となった[3]同光元年(923年)、後唐荘宗開封府に入ると、夢徴は沂州司馬に左遷された[4]。後梁の末帝からの旧恩に感謝して、「祭故君文」を作った。ほどなく宿州に移された[3]。また翰林学士・駕部郎中知制誥に任じられた。天成2年(927年)、中書舎人に転じた[5]長興元年(930年)、翰林学士・中書舎人のまま、工部侍郎となった[6]。長興2年(931年)8月20日、死去した[7]礼部尚書の位を追贈された。著書に『東堂集』10巻があり、当時に通行した[3]

脚注

伝記資料

参考文献

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