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立原啓裕

日本の男優 From Wikipedia, the free encyclopedia

立原 啓裕(たちはら けいすけ、1954年〈昭和29年〉1月12日[1] - )は、日本の俳優、タレント、ラジオパーソナリティ、元大学教授。

本名 小西 啓裕(こにし けいのすけ)
生年月日 (1954-01-12) 1954年1月12日(72歳)
身長 173 cm
概要 たちはら けいすけ 立原 啓裕, 本名 ...
たちはら けいすけ
立原 啓裕
本名 小西 啓裕(こにし けいのすけ)
生年月日 (1954-01-12) 1954年1月12日(72歳)
出身地 奈良県桜井市
身長 173 cm
職業 俳優・タレント
活動期間 1976年 -
配偶者 なし(婚姻歴あり)
事務所 立原オフィス
公式サイト タレント 立原啓裕
主な作品
探偵!ナイトスクープ
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来歴・人物

大阪府出身[2]、奈良県桜井市育ち。関西圏を中心に、テレビ・ラジオで活躍していた。兵庫県尼崎市在住。趣味・特技は東洋医学、心理学、日本全国縦断、ドライブ、書道、ジャズダンス、歌唱。

劇団四季に入団

桃山学院高等学校、大阪芸術大学芸術学部放送学科を卒業[1]。小さい頃は内気であったが、中学時代に映画「メリーポピンズ」に出会い、ミュージカルの世界を目指す事を決意。1976年に2000分の8という難関を突破し劇団四季に入団。浅利慶太に師事する。厳しい修行をしたが、ダンスが苦手だったため、夜中一人でダンスの特訓をし、浅利にそれが認められ入団三年目で、初の舞台を踏む。以後、350本近い舞台を経験したが、4年半後に退団した。退団後、大阪に戻りMC企画に所属。1994年に個人事務所「立原オフィス」を設立した。

退団後・そして放送タレントに

退団後すぐの1981年、時代劇『暴れん坊将軍』にゲスト出演するが、劇団時代のリアクションの演技がスタッフ等の目を引き過ぎてしまい、カルチャーショックを受ける。同年にはKBS京都『ハイヤング京都』でラジオDJとしてデビューし、ラジオ大阪『決定!全日本歌謡選抜』のパーソナリティーに抜擢される。『決定!全日本歌謡選抜』での自称は「Mr.スリム」であった。

劇団を旗揚げ

1985年に、升毅と牧野エミ (当時は牧野恵美)の3人で、演劇ユニット「売名行為」を結成し座長に就任。1公演8000人という記録的な観客動員数を誇るなど関西の演劇層に一大ムーブメントを作り人気を博したが、1991年、10回目の大公演を終え解散。テレビでの活躍が目立っていく。

レギュラー番組本数の日本新記録樹立

放送タレントとしては、1987年にテレビ大阪『町ごとドンドン生放送』へ出演、以後、テレビ、ラジオの出演数が増え、1989年には『探偵!ナイトスクープ』(ABCテレビ)の探偵や、『立原啓裕の昼はおまかせ!電リクだぁ!!』(ABCラジオ)メインパーソナリティー、『OBCブンブンリクエスト』(ラジオ大阪)など、レギュラー16本と絶頂を極め、関西ローカルながらレギュラー本数の日本新記録を樹立した。現在もその記録は破られていない。

メディカルタレント

しかし1994年、過酷なスケジュールとの戦いと多忙がたたり、2ヶ月の病気・療養生活を余儀なくされ、以後はレギュラー本数を減らすとともに、「メディカルタレント」を宣言し、日本医学ジャーナリスト協会にも所属、全国的に講演活動も行うようになった。その時の体験を本にまとめ、2004年にメタモル出版から出版した『立原啓裕の自律神経安定法』CD付きが、2007年6月頃からネット上で話題となり、健康のみならず、願望実現に効果があった等の声が多数寄せられ、巷でブームを呼んでいる。医療健康本という専門書の分類にありながら、ついに7万部突破のベストセラーとなる。それを受けて、2010年6月21日第2弾本『CDを聞くだけであなたの不安が消える本』(CD付き)を角川グループ中経出版からビジネス実用書として上梓した。モチベーションアップ・性格改善・願望実現に特化した内容で、全国の自治体などを中心に講演活動も好調な展開を見せている。

なお、1989年7月以来、探偵として出演してきた『探偵!ナイトスクープ』では、出演当初は「二代目・社会派探偵」として、後半は特に「病弱キャラ」として「死にかけ探偵」「劇団死期」などといじられながらも活躍し、エンド5秒(番組終了のテロップの裏に探偵が披露するギャグ)では、セーラー服や修道女のコスプレなど女装姿を披露するのが恒例となっていた。新分野への挑戦を理由に2005年4月16日放送分をもって探偵として16年間の出演を終了したが、2006年7月28日から顧問として復帰している。かつて本番組内で、「薬(錠剤やカプセル)を見ただけで中身の成分を言い当てられる」という特技を披露したことがある。ちなみに病弱キャラの裏返しなのか、健康器具マニアであることが『たかじん胸いっぱい』で明らかにされている。

近年の活動

2006年4月より大阪芸術大学放送学科グループ客員教授に就任し後進の指導に力を入れていた[3][4]。

2010年2月27日に放送された『よしもとモノマネGP2010』内で、博多大吉が「久米宏に扮装したつもりが立原啓裕になってしまった」と言った時に、「立原啓介」と誤ったテロップが表示された。

2010年、間瀬りさ、水澤薫、月野さあやの三人からなるユニット「ポケットパレットw.」を自らのプロデュースにより手掛ける。

2012年頃より滋賀県大津市に移住。2014年には同市にNPO法人「びわこココロ塾」を設立。参院選出馬の打診もあったが断り、準備を進めてきた。過去に自身が心の病に倒れた経験から、心のケアに関する国民意識の向上をテーマに最後の発信をしていくとした。同年夏より約1年かけて「西国33カ所無料講演ツアー」をタレント活動と並行して実施。7月の「中島らもメモリアルWEEK」ではコントを披露した。その後は近畿2府4県に支部を立ち上げ、関連のテレビ番組を制作するとしていた。

2019年、ココロ塾が閉鎖[5]。同年9月、トークライブ『突然ですが立原啓裕じじい 喜怒哀楽ライブ2019』を開催。これ以降は2012年に死去した牧野エミの追善イベントとして毎年11月に開催されている「エミちゃん祭り」への出演を除き、ほとんど表立った活動が見られなかった。

2026年、自身の芸能生活が50周年を迎えるのを機に新規プロジェクトを始動。女性ボーカルダンスユニットのプロデュースを行っていく。同年8月、YouTubeチャンネルを開設。10年以上メディアに姿を現していなかったが、沈黙を破り久々のメディア出演を果たした。最初の動画では8年前(2018年頃)にジストニアを発症したことや、2年半前に妻が出て行った(後に離婚していたと発言)ことなどを明かしている。YouTubeでは「煩悩の数と同じ108人のお坊さんを数珠繋ぎして、会って話を聴いてみる」というコーナーを開始した[6]。同年9月11日放送のベイコムチャンネル『チームベイコム』にスタジオゲストとして出演。ケーブルテレビとはいえ10数年ぶりのテレビ出演となった。

出演

過去の主な担当番組

テレビ

情報・ワイドショー番組

さらに見る 期間, 番組名 ...
期間番組名役職
1988年10月1992年3月 晴れ時々たかじん(ABCテレビ)火曜日パートナー出演
1993年10月2008年6月 痛快!エブリデイ(関西テレビ)木曜日ゲストコメンテーター
1994年4月2004年3月 ワイドABCDE〜す(ABCテレビ)火曜日レギュラー出演
2003年4月2009年3月 金曜いただきッ!(サンテレビ)総合司会
2006年4月2008年3月 ちちんぷいぷい(毎日放送)水曜日レギュラー出演
2009年4月2010年3月 ゆうドキッ!(奈良テレビ)水曜日メインMC
2010年1月2011年3月 スーパーモーニング(テレビ朝日)特集企画専任担当
2010年4月 ゆうドキッ!(奈良テレビ)金曜日メインMC
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バラエティ番組・その他

ラジオ

映画

  • こわされた夏の幻(1984年)
  • ひとけたの夏(1992年、伊丹映画祭実行委員会) - ゲーム屋の親父 役
  • ツインズ17(2004年、共和教育映画社)

テレビドラマ

CM

舞台

  • 祭平成の歌垣「花夢絵巻」(平城遷都1300年祭)

著書

ディスコグラフィ

  • 「バラードを歌わせてくれ」(1991年5月31日発売、トーラスレコード)- 作詞・作曲:鹿紋太郎/編曲:土井淳/サウンドプロデュース:やしきたかじん
  • 「もうあかんのか」(1994年4月25日発売、ポリスター)- 作詞:及川眠子/作曲:羽田一郎/編曲:藤山節雄
  • 「お前のために~真面目に生きている夫婦たちへ~」(日本コロムビア) - 作詞・作曲:小西啓裕/編曲:石倉重信

連載

脚注

外部リンク

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