竹成五百羅漢
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嘉永5年(1852年)2月、竹成出身の僧照空(神瑞)が、大日堂の境内に15年の歳月を費やして完成させたと伝えているが[2]、実際のところは、照空より依頼をうけた桑名の石工、石長こと藤原長兵衛一門により、慶応2年(1866年)に完成している[3]。その後石仏は明治9年(1876年)の地租改正時に起こった伊勢暴動によって大日堂が焼かれた。明治時代の廃仏毀釈の影響で、石仏が破壊されたり、仏教美術品が持ち去られるような仏教弾圧の時期があった[3]。
石像群は小高く盛られた土山に、東側を正面にして、釈迦三尊を主尊とする羅漢像、大日如来を中心とする密教系の明王、天部などの石像で構成されており、正面入り口より、地蔵菩薩、三蔵法師、弥勒菩薩、南側に願主照空、閻魔大王、北側には天照大神、天狗、七福神、釈迦苦行像、三猿などの石仏が並んでおり、石仏の裏側には尊者名と番号が記された石仏と、記されていない石仏とがある[4]。釈迦如来・地蔵菩薩・三蔵法師・弘法大師の空海の仏教系の石像があれば、天照大神・猿田彦命などの神道系の石像もあり神仏が入り乱れている。 [5]
照空(上瑞)
大日堂
所在地
- 三重県三重郡菰野町竹成2070