笑福亭圓笑
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経歴
天保・弘化年間頃の生まれ、初代松鶴の門人。初代笑福亭鶴松、3代目(4代目とも)吾竹、2代目笑福亭松鶴を経て、2代目笑福亭圓笑を名乗り、後に講談師となる。松橋を名乗っていた時期もあるらしい。
元は紺屋の形置職人で、仕事の合間に桃などの果物を売り歩いたため、落語家となった後も「桃屋」とあだ名される。また、夏祭りには流しの俄も演じていたという。
舞踊の名手で、「松尽くし」(一枚歯の下駄を履いて碁盤などの小台に乗り、五枚の扇を広げて舞う芸)の元祖はこの2代目松鶴と伝える。初代文枝が得意にした『三十石』に、師・初代松鶴の作った舟唄を加味し、当時の評判を取ったという(その写真は『落語系圖』p.106に掲載されている)。一方では、高座を這い回ったり、役者のように目を剥くなどのケレンがあっともいう。
1876年頃には東京で修行、帰阪後は東京の上品な噺をめざしたという。
講談師になってからは、『加賀騒動』『業平文治』などを十八番にしたと伝える。
