笑福亭小枝鶴 From Wikipedia, the free encyclopedia 本名中野 富三郎生年月日1886年没年月日1938年6月25日師匠4代目笑福亭松鶴3代目立花家千橘 笑福亭(しょうふくてい) 小枝(こし)鶴(かく) 本名 中野 富三郎 生年月日 1886年 没年月日 1938年6月25日 師匠 4代目笑福亭松鶴3代目立花家千橘 名跡 1. 笑福亭鶴三(? - 1912年)2. 笑福亭小枝鶴(1912年 - 1919年)3. 立花家橘太郎(1919年 - 1920年)4. 笑福亭小枝鶴(1920年 - 1938年) 活動期間 ? - 1938年 活動内容 上方落語 所属 吉本興業 表示 笑福亭 小枝鶴(しょうふくてい こしかく、1886年 - 1938年6月25日)は、上方噺家(生年は逆算)[1]。本名は中野 富三郎[1][注釈 1]。 五枚笹は、笑福亭一門の定紋である。 最初は4代目笑福亭松鶴の門で鶴三と名乗る[1]。その後、1912年ころに[要出典]小枝鶴、1919年ころ3代目立花家千橘? の門で橘太郎、翌年に再度小枝鶴[要出典]となる[1]。 漫才の隆盛の時代の1927年に吉本を離れる[要出典]。1931年12月にNHK大阪放送局のラジオで『無筆の親』を演じた記録が残る[3]。5代目笑福亭松鶴の「楽語荘」に参加したが、病気がちで高座にあがることなく死亡した[1]。 芸風は派手ではないが真面目な芸風で口演中に楽屋が騒がしいので噺を止め、怒鳴り散らしたという[要出典]。その真面目さは一部からは評価を得た[1]。『崇徳院』『太鼓腹』『牛の丸薬』などを得意とした[要出典]。 脚注 注釈 ↑ 同世代の2代目笑福亭圓篤(後の三遊亭花遊三)は同じ「中野富三郎」が本名だが、同姓同名の別人である[2]。 出典 1 2 3 4 5 6 古今東西落語家事典 1989, p. 404, 索引小事典―上方―. ↑ 古今東西落語家事典 1989, p. 405, 索引小事典―上方―. ↑ 日本放送協会 編「第三篇 日本放送協会の設立と放送網の建設」『日本放送史』日本放送協会、1951年、494頁。NDLJP:2458033/1/267。 参考文献 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2026年1月) 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会 編『古今東西落語家事典』平凡社、1989年4月7日。ISBN 4-582-12612-X。 小島貞二『古今東西噺家紳士録 噺家系図付』丸善出版(発売)・エーピーピーカンパニー(発行)、2000年。(CD-ROMつき) この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。表示編集 Related Articles