笠原義為 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代(室町時代後期)- 安土桃山時代生誕 不詳死没 不詳別名 平六、新六郎 凡例笠原 義為時代 戦国時代(室町時代後期)- 安土桃山時代生誕 不詳死没 不詳別名 平六、新六郎官位 筑後守?主君 北条氏康 → 氏政氏族 備中笠原氏(筑後守家)父母 父:笠原信為、母:不詳兄弟 康勝、康明、義為子 広定テンプレートを表示 笠原 義為(かさはら よしため、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。通称は平六、新六郎。武蔵大曽根城主。父は笠原信為。子に広定。兄弟に康勝、康明。 武蔵小机城代を務めた笠原信為の子として生まれる。新編武蔵風土記稿によると、明応9年(1500年)、小机城の出城として大曽根城(横浜市港北区大倉山)を築いたという。 義為は子宝に恵まれず、村内にあった長光寺の住職円覚法印に依頼して念じたところ、妻が懐妊したことから、砦の中に稲荷神社を勧請して、笠原稲荷と名付けた。その際に生まれた子が広定だという[1]。 脚注 ↑ 『横浜市史稿 地理編』1973年、793頁。 参考文献 第227回 港北のお城と館 ―その2、大曽根の3館―”.公益社団法人大倉精神文化研究所 (2026年4月16日). 2026年4月16日閲覧。 武家家伝『笠原氏』2026年4月16日閲覧。 『横浜市史稿 地理編』名著出版、1973年 Related Articles