吉備笠垂 From Wikipedia, the free encyclopedia 吉備笠 垂(きびのかさ の しだる)は、飛鳥時代の官人。名は志太留とも表記される。姓は臣。冠位は大錦下[1]。吉備笠氏は孝霊天皇皇子の稚武彦命の後裔とされる氏族。 時代 飛鳥時代生誕 不明死没 不明別名 志太留概要 凡例吉備笠垂, 時代 ... 凡例吉備笠垂時代 飛鳥時代生誕 不明死没 不明別名 志太留官位 大錦下主君 孝徳天皇氏族 笠臣(笠国造族)テンプレートを表示閉じる 経歴 大化元年(645年)9月3日に垂は蘇我田口川堀・物部朴井椎子・倭漢文麻呂・朴市秦田来津らと共に、古人大市皇子を擁して謀反を企てる[2]。しかし、垂は9月12日に中大兄皇子にこれを密告する(或本では、垂は阿倍内麻呂と蘇我倉山田石川麻呂に自白したことになっている)[3]。その結果、古人皇子はすぐさま、あるいは11月30日に攻められて息子ともども殺害された。垂はこの功で功田20町を賜った。なお、天平宝字元年(757年)になってから、この功労は中功に当たるとして二代に相続されることとなった[1]。 脚注 [1]『続日本紀』天平宝字元年12月9日条 [2]『日本書紀』大化元年9月3日条 [3]『日本書紀』大化元年9月12日条 参考文献 宇治谷孟『日本書紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、1988年 宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、1995年 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 Related Articles