1662年(寛文2年)に美濃国奉行(美濃郡代)名取半左衛門長知が郡代陣屋を移し、傘町から笠松に改称してから約200年にわたり、笠松陣屋を中心に、徳川幕府直轄地支配や治水行政の中心地、地方物資の集散地となった。
木曽川水運の拠点としても発展し、下流の桑名、四日市、名古屋からは海産物や塩、衣類などが運ばれ、上流からは年貢米や材木、薪炭などが運ばれた。また宝江渡船の美濃側の船着き場でもあった。
かつては問屋や倉庫、船宿、料亭などが立ち並び木曽川随一の繁栄を誇っていた。
1885年(明治18年)には笠松湊へ寄港する船は1日平均38艘、1年間に6,440艘あまりで、1892年(明治25年)ごろまでは桑名からの蒸気船が1日2往復していた。
大正から昭和初期には、ポンポン船と呼ばれる大型発動機船の時代となったが、近年鉄道の普及、自動車の発達により笠松港の役割は終わった。