第10方面軍 (日本軍)
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第二次世界大戦末期絶対国防圏の要石とされたサイパン陥落後、台湾方面の戦力増強のため1944年(昭和19年)9月22日に新編され、連合国軍の台湾上陸に備え台北に在った。第10方面軍司令官は、台湾軍司令官(昭和20年2月1日から台湾軍管区司令官[1])が兼任し[2]、台湾総督も兼任していた。
→詳細は「台湾総督府 § 後期武官総督の時代」を参照
1945年(昭和20年)6月20日、第32軍の組織的戦闘終了に伴い、参謀総長から関係指揮官に対し、第10方面軍の任務に関する大陸命が伝宣。第十方面軍司令官の任務は「台湾および先島諸島に来攻する敵を撃滅するとともに、南西諸島方面の敵空海基地の制圧を図り、本土全般の作戦を容易ならしむるべきこと等」とされた[3]。
米軍を主力とする連合軍による台湾島への攻撃は台北大空襲が目立つ程度で、陸上部隊は日米両軍とも沖縄戦に総力を結集したこともあり台湾への上陸は無くなり、本方面軍の主力は交戦すること無しに終戦を迎え、1945年(昭和20年)10月の中華民国による台湾奪還を迎えることになる。
→詳細は「台湾光復 § 日本によるポツダム宣言受諾」、および「日本統治時代の台湾 § 日本の敗戦と中華民国による接収」を参照
→「沖縄戦 § 参加兵力」、および「アメリカ合衆国による沖縄統治 § 戦争終結直後の混乱期とその後」も参照
しかし、沖縄本島に在った隷下の第32軍は終戦時所属師団・連隊のほぼすべてが総員玉砕し、司令官・中将牛島満、第24師団長・中将雨宮巽、第62師団長・少将藤岡武雄および海軍第五航空艦隊司令長官・中将宇垣纏らが自決や散華するなどして敗戦の責任を取った。
基本情報
- 通称号:湾
- 編成時期:1944年(昭和19年)9月22日
- 最終位置:台北
- 最終上級部隊:大本営