第15ヘリコプター隊
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概要

隊長は1等陸佐をもって充てられ、隊本部、本部付隊、第1・第2飛行隊により編成される。多用途ヘリコプターUH-60JA、輸送ヘリコプターCH-47JAの2種のヘリコプターおよび連絡偵察機LR-2を装備・運用し、南西諸島地域における防衛警備(輸送支援)を主任務とする。
部隊の前身は第1混成団隷下の第101飛行隊であり、沖縄返還に伴い1972年(昭和47年)に編成され、2010年(平成22年)3月の第15旅団編成により第15飛行隊に改編、2013年(平成25年)3月に第15ヘリコプター隊に再改編された。
急患空輸では、南西諸島各離島で発生した急病患者が、島内での救命治療が困難な場合、役所など行政機関が所管県庁(この場合、沖縄県または鹿児島県)の防災課を通し、各県知事が自衛隊による災害派遣を法根拠に第15旅団へ要請する。離島での地域格差や医療格差などが深刻化する中、第15飛行隊の急患空輸任務は増加の一途をたどっており世界中の軍隊・警察・消防が運用する航空機レスキューの出動回数と比較しても出動回数は多い。民間運用のドクターヘリと違い、24時間体制でスタンバイしているため夜間の出動も多く、またいかなる天候状況でも飛ばなければならない状況にあるため、パイロットや整備、運航管理などを担当する隊員たちの練度と意識は高いといわれている。
しかし、1990年(平成2年)2月と2007年(平成19年)3月に患者輸送任務中の墜落事故が発生している。両事故とも天候の悪い夜間でのフライトであり、GPSによる地形表示装置を装備しない航空機での夜間または悪天候下での救難能力の限界を示している。2007年(平成19年)の事故後、防衛省の守屋武昌防衛事務次官は定例記者会見で、事故の原因究明とともに急患輸送の運用体制を見直すことを示した。なお、この事故の捜索救難には航空自衛隊の那覇救難隊があたった。
沿革
- 1972年(昭和47年)
- 1972年(昭和47年)11月21日:臨時第101飛行隊が健軍駐屯地から那覇駐屯地に移駐[1]。
- 1973年(昭和48年)10月16日:第1混成団新編により臨時第101飛行隊が第101飛行隊として編成完結[1]。V-107、UH-1、LR-1などを装備。
- 1990年(平成2年)2月17日:沖縄県宮古島に緊急患者輸送に向かった第101飛行隊所属のプロペラ機(LR-1)が宮古島の近海に墜落。乗員3名および同乗の医師1名が死亡[2][3]。
- 1996年(平成8年)2月7日:CH-47J/JAを導入[1]。
- 1999年(平成11年)10月6日:UH-60JAを導入[1]。
- 2007年(平成19年)
- 2010年(平成22年)
- 2013年(平成25年)3月26日:旅団改編に伴い、第15飛行隊が第15ヘリコプター隊に増強改編[1][5]。
部隊編成
隊長
| 代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 酒瀬川友博 | 2013年3月26日 - 2015年7月31日 | 陸上自衛隊航空学校企画室長 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
| 2 | 古賀幹徳 | 2015年8月1日 - 2018年7月31日 | 陸上自衛隊航空学校主任教官 | 札幌駐屯地業務隊長 |
| 3 | 坂本貴宏 | 2018年8月1日 - 2020年11月30日 | 第1ヘリコプター団本部高級幕僚 | 陸上総隊司令部運用部陸上連絡官 |
| 4 | 後村幸治 | 2020年12月1日 - 2022年7月31日 | 陸上自衛隊教育訓練研究本部 | 陸上幕僚監部装備計画部航空機課 航空安全班長 |
| 5 | 小野栄二 | 2022年8月1日 - 2024年7月31日 | 中部方面航空隊副隊長 | 西部方面航空隊副隊長 |
| 6 | 藤井健夫 | 2024年8月1日 - 2026年7月31日 | 陸上自衛隊航空学校企画室長 | 陸上自衛隊高等工科学校教育部長[7] |
| 7 | 森竹辰哉[7] (2等陸佐) | 2026年8月1日 - | 統合幕僚学校国際平和協力センター勤務 |
主要装備
- LR-2
- UH-60JA
- CH-47JA
- 1/2tトラック / 73式小型トラック
- 1 1/2tトラック / 73式中型トラック
- 3 1/2tトラック / 73式大型トラック
- 12.7mm重機関銃
- 5.56mm機関銃MINIMI
- 89式5.56mm小銃
- 9mm拳銃