第2次池田内閣 (第3次改造)

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第2次池田第3次改造内閣(だいにじいけだだいさんじかいぞうないかく)は、池田勇人が第59代内閣総理大臣に任命され、1963年(昭和38年)7月18日から同年12月9日まで続いた日本の内閣

内閣総理大臣 第59代 池田勇人
成立年月日 1963年(昭和38年)7月18日
終了年月日 同年12月9日
与党・支持基盤 自由民主党
概要 内閣総理大臣, 成立年月日 ...
第2次池田第3次改造内閣
内閣総理大臣 第59代 池田勇人
成立年月日 1963年(昭和38年)7月18日
終了年月日 同年12月9日
与党・支持基盤 自由民主党
施行した選挙 第30回衆議院議員総選挙
衆議院解散 1963年(昭和38年)10月23日
所得倍増解散
内閣閣僚名簿(首相官邸)
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前の第2次池田第2次改造内閣改造内閣である。衆院選を挟まずに3回内閣改造を行った例は、この内閣と第3次吉田内閣第1次佐藤内閣野田内閣第3次安倍内閣の5つのみであり、回数としては最多である。

内閣の顔ぶれ・人事

閣僚
政務次官

第2次池田内閣第2次改造内閣の政務次官が1963年(昭和38年)7月30日に退任し、同日付で新たな政務次官を任命した。

(参考)自由民主党三役

なお、内閣改造に伴い、自民党役員改選が行われた。

内閣の動き

前年の内閣改造から1年が経過したのを契機に内閣改造が行われた。

改造前、反主流派の十日会岸信介派)、周山会佐藤栄作派)が中心となって党風刷新連盟を結成して執行部に揺さぶりをかけていたが、執行部も「第三次組織調査会」を設置。改造前に行われた中間報告(三木答申)では、派閥解消等の党近代化の提言がなされたが、肝心の改造は従来通り各派の推薦を基に実施。前回改造の時に閣外に出た池田のライバルの佐藤が、二人の政界の師である吉田茂元首相の口利きで再入閣したことにより、党風刷新連盟の旗頭が失われたことで、政権は安定感を増した[1]

本内閣の成立からほどなく、前回の衆議院議員総選挙から月日が経過したのを受けて、10月23日に衆議院解散、11月21日に第30回衆議院議員総選挙が投開票され、自民党は引き続き過半数を維持(定数467、自民党283、日本社会党144、その他40)。池田政権は第3次池田内閣として継続する。

出来事

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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