第38防空砲兵旅団
From Wikipedia, the free encyclopedia
2018年の再編成以後の編成を記載する[1]。日本国内のほか、グアムのアンダーソン空軍基地にも部隊が駐屯する。
- 第28防空砲兵旅団司令部および司令部中隊(相模総合補給廠)
- 第1防空砲兵連隊第1大隊(嘉手納基地):パトリオットミサイル
- タロン・タスクフォース(グアム・アンダーソン空軍基地)[2]
- タスクフォース司令部および統制班
- 第3防空砲兵連隊エコー中隊 (THAAD)
- SECFOR中隊
- 第10ミサイル防衛中隊(車力通信所):AN/TPY-2 THAAD レーダー
- 第14ミサイル防衛中隊(経ヶ岬通信所)
沿革
第1次世界大戦
1918年7月、バージニア州ユースティスキャンプ(現在のフォート・ユースティス)において第38防空砲兵旅団司令部および司令部中隊が編成された。
その後フランスのブレストへ渡航し、兵站補給部隊に配属された。第一次世界大戦終結まで同地に駐留した後、1919年2月にバージニア州ハンプトンのモンロー砦へ帰還し復員した。
14年後の1933年10月に第38防空砲兵旅団および司令部中隊は「第38沿岸防空砲兵旅団」として再編成された[3]。
第2次世界大戦
アメリカ合衆国が第2次世界大戦に参戦した当時、第38沿岸砲兵旅団はフォート・スチュワートに駐屯し[4]、ヨーロッパ戦線に備えていた。1943年9月に第38沿岸砲兵旅団は「第38高射砲兵旅団」へ再編成された。対独戦のバルジの戦いにおける功績により、戦闘功績章および、戦役リボンを授与された[5]。
第38高射砲兵旅団は、連合軍の捕虜収容所や避難民キャンプの警備を含む、憲兵隊に類似した任務にあたった[6]。"the Coast Artillery Journal"によれば第38高射砲旅団は1944年7月にフランス・アヴァンシュに到着し、陸軍高射砲部隊の編成、陸軍司令部及び近隣の補給物資貯蔵庫の防衛にあたったとされる[7]。

冷戦
戦後、旅団は1951年3月14日、テキサス州フォートブリスにて再編成された[8]。同地で活動した後、1953年5月に廃止した。廃止時、人員および装備品は新設された第1誘導ミサイル旅団へ移管された[9]。
第1誘導ミサイル旅団は1961年3月20日、第38砲兵旅団(防空)司令部・司令部中隊に改称され、防空大隊及びミサイルシステムの配属により太平洋地域で活動を開始した。旅団は在韓米空軍司令官の作戦指揮下に置かれ、朝鮮半島における米国及び大韓民国の防空部隊に対する作戦指揮統制権を有していた[10]。
1972年3月15日、第38砲兵旅団(防空)は米国陸軍の戦闘兵科連隊制に基づき「第38防空砲兵旅団」に改称された。旅団司令部は第314航空師団司令部および大韓民国空軍司令部と共に烏山空軍基地に配置された[11]。
このうち第2防空砲兵連隊大隊第1大隊は1981年7月15日に廃止され、主要装備品であったホークミサイルは補償装備移転計画に基づき韓国陸軍に移管された。
廃止後唯一の射撃部隊である第71防空砲兵連隊第2大隊は、韓国北部の防空を担当し、1981年7月16日に韓国・米国共同野戦部隊に再配属された[12]。1981年7月31日、第38防空砲兵旅団司令部は20年以上にわたる防空任務を完遂し烏山空軍基地にて廃止された[13][14]。なお、第2大隊のホークミサイルは1982年半ばに韓国陸軍へ移管する予定とされた。その後、第38防空砲兵旅団は1982年3月18日に空軍優秀部隊表彰を受賞した[15]。

近況
2018年10月31日、第38防空砲兵旅団が再編成されることとなった。
アメリカインド太平洋軍司令官を支援し、日米同盟を強化するため、インド太平洋軍および在日米陸軍協働で航空・ミサイル防衛を行う部隊となった。第94防空ミサイル防衛コマンドおよび在日米陸軍司令部の指揮統制を受ける。
任務として、在日米陸軍管内のミサイル防衛部隊を統制し、弾道ミサイルの監視および、嘉手納基地のPAC-3、グアムのTHAADによる迎撃までを指揮する。