在日米陸軍の起源は、1941年7月にマニラにおいて創設されたアメリカ極東陸軍まで遡ることができる。1942年、アメリカ極東陸軍の司令部は、陸軍元帥ダグラス・マッカーサーに率いられ、オーストラリアのメルボルンに移駐した。その後、戦後には東京に、1953年には横浜に、そして、1953年10月には現所在地であるキャンプ座間へと移駐した。
1953年1月、太平洋地域の米軍再編に伴い、極東陸軍は、極東地域における陸軍兵力の主体となった。1953年10月、極東陸軍は、東京から56キロメートル南西に位置するキャンプ座間へと移駐し、アントニン・レーモンドが設計した新しい庁舎に司令部を配置した。1954年11月20日、極東陸軍は、第8軍と編合され、極東陸軍/第8軍となった。1955年、第8軍の司令部はソウルの龍山(ヨンサン)基地へと移され、キャンプ座間の司令部は、極東陸軍/第8軍(後方)と改称された。在日米陸軍(U.S. Army Japan, USARJ)という名称が初めて使われたのは、1957年7月1日の太平洋地域における米軍再編においてのことであった。
1957年7月1日、太平洋地域における米軍再編に伴い、在日米陸軍は、ハワイ州に司令部を置くアメリカ太平洋軍(現・アメリカインド太平洋軍)(U.S. Army Pacific, USARPAC)の主要な隷下部隊のひとつとなった。1968年9月1日に再改編された在日米陸軍は、従来の任務および機能を維持しつつ、作戦効率を向上させるための新しい編成を整えた。
1972年5月15日の沖縄返還に伴い、在日米陸軍司令部は、沖縄に所在していた部隊を隷下に吸収するとともに、指揮・統制組織の改善を図った。沖縄返還に伴う混乱の中、沖縄県から移駐した第9軍団が指揮系統に取り込まれ、在日米陸軍/第9軍団司令部が編成された。
1974年7月1日、在日米陸軍の再編により、本州基地管理本部(U.S. Army Garrison, Honshu, USAGH)、沖縄基地管理本部(U.S. Army Garrison, Okinawa, USAGO)および在日米陸軍衛生科部隊(U.S. Army Medical Department Activity-Japan, MEDDAC-JAPAN)の3つの隷下部隊が創隊された。1975年1月1日、アメリカ太平洋軍の廃止に伴い、在日米陸軍は、陸軍省の直属隷下部隊となった。
1990年8月、太平洋軍の再編成により、在日米陸軍は、その直属隷下部隊に戻ったが、引き続き在日米軍(U.S. Forces, Japan, USFJ)の陸軍部隊司令部としての機能を維持した。1994年、第9軍団は、第9戦域陸軍地域コマンド(9th Theater Army Area Command)へと改編され、1999年11月8日には、第9戦域支援コマンド(9th Theater Support Command, 9thTSC)へと改称された。その後、2001年9月11日までの間にも、小規模な再編成や改称が何度か行われたが、在日米陸軍は、日本および沖縄における兵站拠点の維持を担い続けた。
2007年9月、第9戦域支援コマンドが解組となり、2007年12月19日、アメリカ陸軍の再編により、第1軍団(I Corps)(前方)が日本に編成された。在日米陸軍の司令部は、キャンプ座間に留まり、在日米軍の陸軍部隊司令部としての機能を維持した。
2011年3月11日、マグニチュード9.0の巨大地震と津波が日本の東北地方沿岸地域を襲った(東北地方太平洋沖地震)。数分後、在日米陸軍は、陸上自衛隊を支援するための過去最大の共同作戦であり、「トモダチ作戦」と呼ばれた人道支援災害救助活動を開始した。在日米陸軍は、陸上自衛隊に対する装備および整備支援を終了した後も、引き続き9月まで被災者に対する救援を継続した。
2018年10月16日には国内のミサイル監視施設及び、嘉手納基地、グアム・アンダーソン空軍基地の防空砲兵部隊を指揮する第38防空砲兵旅団が相模総合補給廠内に新編された[1]。