ソビエト連邦軍時代に第72親衛自動車化狙撃師団が存在したが、ソ連崩壊後はウクライナ軍に編入した。
2024年4月、ロシアのウクライナ侵攻の影響に伴い、NATO加盟のフィンランドへの意趣返しとして動員兵を主体にカレリア共和国で創設された[1]。
2024年5月、北東部ハルキウ州に配備され、第41自動車化狙撃連隊が友軍の救援でハルキウ方面を攻撃した[2]。
2024年8月、ロシア・クルスク州に再配置され、友軍の救援でスジャ方面に展開した[3]。第30自動車化狙撃連隊がスジャ北のマラヤ・ロクニャ村を長期間防衛し、一時はウクライナ軍に包囲されるも、敵に最大限の損害を与えるため自滅覚悟で村への砲撃を要請し、アレクサンドル・ダニーロフ大隊長が負傷して村は占領されたが、ウクライナ軍の進撃を阻止した[4]。
2025年3月、スジャ解放作戦で第30連隊が地下パイプラインを利用して敵陣地の背後を奇襲し、第22自動車化狙撃連隊はウクライナ軍が撤退したスジャを解放したが、エフゲニー・チハノヴィチ副連隊長が戦死した。この働きにより、2023年4月以来2度目のウラジーミル・プーチン大統領前線視察を実現させた。とくにワレリー・ゲラシモフ総司令官(解任説あり)は第30連隊の活躍に着目し、プーチン大統領は第22連隊の活躍に着目したが、「ロシア軍は可能な限り短期間でクルスク州全域を解放しなければならない」とさらなる精進を促した[5][6]。
2025年10月、北東部ハルキウ州に再配置され、第22連隊、第41連隊が友軍の救援で東部ルハーンシク州と接するクプヤンシク方面に展開した[7]。