第二次クプヤンシクの戦い
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変化
- ロシア軍が一時的にクプヤンシクの大部分を占領するも、ウクライナ軍の反撃により占領地の大部分を喪失。ロシア軍はクプヤンシク北部にまで撤退。
| 第二次クプヤンシクの戦い | |||||||||
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| ドンバス戦争、ロシアのウクライナ侵攻中 | |||||||||
2025年8月9日のクピャンシク方面の戦況図 | |||||||||
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第二次クプヤンシクの戦い(だいにじクプヤンシクのたたかい)はロシア軍およびドンバス分離主義軍とウクライナ軍との間で起きたウクライナ北東部ハルキウ州のクプヤンシクをめぐる戦いである。クプヤンシクはオスキル川両岸に位置する戦略的に重要な都市なためロシア軍は2022年のウクライナ東部反攻による都市の喪失後もクプヤンシクを奪還するため攻撃を行ってきた。
開戦当初、ウクライナ軍はロシア軍の進撃を遅らせるためクプヤンシクの鉄道橋を爆破したが同市の市長のヘンナジー・マツェホラは、戦闘行為の停止と引き換えにロシア軍に都市を明け渡すことに同意した。 その結果クプヤンシクは2022年2月27日以降ロシア軍が占領していた。[1]2022年のウクライナの東部反攻時にウクライナ軍はクプヤンシクを9月16日に奪還し、ロシア軍を同市から北東方向に約8km、東方向に約20km離れた地点にまで後退させることに成功した[2]。しかし、ロシア軍はクプヤンシクの再度占領を諦めてはおらず、2024年7月から10月にかけロシア軍はクプヤンシク南東のクロフマルネから約14km前進し、クプヤンシクの約15km南に位置するオスキル川に到達した。それから約1ヶ月後の11月中旬に少数のロシア軍部隊がクプヤンシク東岸市街地に侵入し、以降クプヤンシクを巡る戦いが始まった。
戦闘経過
2022年9月〜2024年10月
2022年にウクライナ軍は東部で反攻作戦を行いイジュームやクプヤンシクなどの主要都市を含む約3000平方キロメートルの土地を奪還し、ロシア軍をオスキル川東岸へと撤退させた[3]。ロシア軍のクプヤンシク撤退後、長らく戦線に変化は訪れなかったが、2024年7月からロシア軍はクプヤンシクから南東に約25km離れたクロフマルネで戦線を突破し、10月下旬には西に約15km前進しオスキル川に到達。クプヤンシクから南に約20km離れたクルリアキフカに到達した[4]。
2024年11月〜2025年2月 ロシア軍のクプヤンシク侵入とオスキル川の渡河
2024年11月14日、 戦車1輌、歩兵戦闘車1輌、兵員輸送車2輌で構成されたロシア軍の小規模な装甲部隊が、ウクライナ軍の人員不足と部隊ローテーションによる防衛の隙を突き、クプヤンシク北東約4kmの地点から市街地へと侵入した。ロシア軍部隊はほとんど抵抗を受けることなく、クプヤンシク東岸市街地中心部にまで到達した[5][6]。ロシア軍はこの成功を受け、新たな追加兵力を投入したが、防衛にあたったウクライナ軍第116旅団と第14旅団により阻止された。その後1週間以上にわたり戦闘が行われたが、11月25日に市内に侵入したロシア軍部隊は掃討された[7]。
11月25日、ロシア軍はオスキル川を渡河しクプヤンシク北東に約15km離れたノヴォムリンスク郊外に到達した[8]。さらに11月30日、ロシア軍はクプヤンシク北東に約9km離れた地点でオスキル川を渡河し、オスキル川西岸のドヴォリチナ郊外に到達した[9]。12月に入ると3日にウクライナ軍は反撃を行い、ノヴォムリンスク一帯からロシア軍をオスキル川東岸へと撤退させた。しかしドヴォリチナ郊外に渡河したロシア軍を排除することは叶わず、12月15日にはドヴォリチナ市街にロシア軍は到達した[10]。
12月下旬には目立った戦線の変化は訪れなかったが、2025年1月9日にロシア軍はドヴォリチナ南西郊外と北西郊外に到達し、ウクライナ当局もロシア軍がオスキル川に上陸し橋頭堡を築いていることを認めた[11][12]。ロシア軍は1月23日にドヴォリチナ南西部のザパドネでも約2.5km前進し徐々にオスキル川西岸で支配地域を広げていった[13]。
2月に入るとロシア軍はクプヤンシク方面でも渡河を成功させザパドネを占領し、クプヤンシク方向に前進した[14]。
3月〜4月
3月に入るとウクライナ軍はオスキル川方面の戦況を安定させることに成功した。ロシア軍もオスキル川東岸の支配地域を拡大しようと戦線の突破を試みたが、多くのロシア兵は攻撃を受け排除された。[15]3月下旬にロシア軍はオスキル川西岸のクプヤンシク北部の集落キンドラティフカに向け前進し、同集落の一部に到達した。ロシア軍はこの前進でクプヤンシク西岸市街地へ約4km接近した。[16]4月に入ると戦線は停滞し大きな変化が起きることはなかった。
5月〜12月 クプヤンシクへの突破と市内での戦闘の激化
5月下旬になるとロシア軍はクプヤンシクへ接近した。5月23日にロシア国防省はクプヤンシク西岸から僅か約2km離れた集落のラドキフカを占領したと報告した[17]。6月に入った後も、ロシア軍は支配地域を拡大し、6月9日にロシア軍はキンドラティフカ中心部を占領した[18]。6月20日にはロシア国防省がクプヤンシク西岸市街地に隣接する集落のモスコフカを占領したと報告した[19]。
8月7日、ロシア軍部隊はクプヤンシク西部に隣接する集落のソボリフカ郊外に到達した。また、クプヤンシク北部のホルビフカでもロシア軍は支配地域を拡大した[20]。
8月25日、モスコフカ、キンドラティフカを占領し、クプヤンシクを攻撃していたロシア軍部隊がクプヤンシクに侵入し、北部市街地郊外と北西部市街地郊外を占領した。また、ウクライナ側のオープンソース情報機関は多数のロシア軍破壊工作部隊が民間人を装い市内に潜伏していると明かした[21]。
8月29日、ウクライナ軍は反撃を行いモスコフカとソボリフカからロシア軍を後退させた[22]。
9月13日、ロシア軍はパイプラインを使用し、オスキル川東岸からオスキル川西岸のラドキフカへと兵を送り続けている。パイプラインの移動には約4日を要するため、パイプライン内には食料庫や休憩拠点が設けられており、このパイプライン移動によりロシア軍は損害を出すこともなくオスキル川西岸へと移動でき、ロシア軍はクプヤンシクに兵力を集め続けている。さらに、クプヤンシク市内には侵入したロシア兵により陣地が構築されている[23]。ウクライナ軍はこの件に関し、市近郊に通っているパイプラインの出口はすべてウクライナ軍の管理下にあり、4つのパイプラインのうち3本のパイプラインは損傷し浸水しており移動は不可能だと主張した[24]。同日、ロシア軍はクプヤンシク西岸市街地北部郊外を占領した[25]。
9月18日、ロシア軍はクプヤンシク西岸北部の集合住宅群の一部を占領し、一部のロシア軍部隊は市中心部にも到達した。また、ロシア軍はクプヤンシクから東に約15km離れた地点でも約4km前進した[26]。
9月20日、ウクライナ軍はロシア軍が使用していたパイプラインの爆破に成功した。損傷によりパイプライン内は浸水し通行が不可能になったため、ロシア軍はオスキル川の渡河を再開した。オスキル川を渡河するロシア兵の大半はドローンにより排除されたが、ロシア軍は既に大量の兵士をオスキル川西岸へ送ることに成功しているためクプヤンシクは激しい攻撃に晒されている[27]。
市内に足場を築いたロシア軍は歩兵を主体にドローンや火砲の援護を受けながらクプヤンシクで支配地域を拡大し、9月27日にロシア軍はクプヤンシク市街地中心部と市街地北西部を占領することに成功した[28]。
11月20日、ワレリー・ゲラシモフ参謀総長は、ウラジーミル・プーチン大統領と西部軍司令部で会談した際、ロシア軍がクプヤンシク全域を制圧したと述べた。さらに、ゲラシモフ参謀総長は「クプヤンシク・ヴズロヴィイとその周辺で約15個大隊が包囲されている」「ウクライナ軍兵士の多くはドローン攻撃に晒され任務を遂行することができず多くの兵士が降伏を決意している」「西部軍集団はクプヤンシクを解放しオスキル川東岸で包囲された兵士を殲滅している」と述べた[29]。
11月21日、ロシア国防省はクプヤンシクを解放したと報告した[30]。また、同時期にクプヤンシク西岸市街中心部、西岸南郊外、東岸市街中心部で国旗を振るロシア軍兵士の姿が確認された。ロシアのミルブロガーのRYBARは「ロシア軍はクプヤンシクの大半を占領したが、東岸南市街地でのロシア軍の支配は確認されていない」と報告した[31]。ウクライナ軍はロシア国防省の報告について「市内には小規模のロシア軍兵士が潜入し街を支配しているかのように国旗を振る舞っている。ロシア軍はクプヤンシクを占領してはいない」と市の陥落を否定した[32]。
12月 ウクライナ軍の反撃 クプヤンシクの奪還
12月12日、ウクライナ軍は大規模な反撃を行いモスコフカ、ラドキフカ、キンドラティフカを手早く占領。占領後はクプヤンシク北部と南部、その周辺のロシア軍部隊を包囲する形で掃討し、ロシア軍を約6km後退させた。クプヤンシク西岸市街地には一部のロシア軍部隊がウクライナ軍の包囲下にある。ロシア軍は約半年間で獲得したオスキル川西岸の占領地のほとんどを消失した[33]。
ゼレンスキー大統領は1日、クプヤンシクでウクライナ軍は大きな成功を収め、ロシア軍をクプヤンシク全域から排除したと報告した。また、ウクライナ軍第2軍団は、クプヤンシク近郊での反撃が成功して市内の敵を包囲し、ロシア軍の兵站を遮断した。クプヤンシクのロシア軍は完全に孤立した状態であり、敵は長い間、何が起こっているの理解していなかったが、現在はウクライナ軍に包囲されていると悟っていると報告し、「本作戦において第475独立突撃連隊の働きは特に素晴らしかった」と部隊の活躍を称賛した[34]。
ゼレンスキー大統領は同日、クプヤンシクを訪問し市のモニュメントの前で「私はクピャンスクで戦っている兵士に挨拶をした」「戦場で成果を上げることは非常に重要だ」「そうすることでウクライナは外交上の立場を強化して成果を上げることができる」と述べた[35]。
ロシア国防省のコメントは12日時点では確認されていない。
ロシア側のミルブロガーのRYBARはこの反撃について、当初は部分的奪還に過ぎないとクプヤンシク陥落を否定していたが、日が変わるとロシア軍は2度もクプヤンスクを消失したと報告し、実際にはロシア軍はクプヤンシクを占領してすらおらず、その他ロシア国防省が解放を発表したソボリフカ、モスコフカ、ペトロパブリフカ、クリリフカ、クプヤンシク=ヴズロヴィイもクプヤンシク同様占領すらしておらず、偽の占領報告をしていたと指摘した[36]。
2026年1月〜現在
ウクライナ軍の反撃後、ロシア軍はクプヤンシクの大部分の支配を失い、周辺集落のキンドラティフカやモスコフカも喪失した。ロシア軍は辛うじて少なくともクプヤンシク西岸北部とホルビフカの拠点を維持することには成功したが、補給状況も地理的に厳しく、ウクライナ軍の攻撃を頻繁に受けているため状況は非常に不安定である。
RYBARはクプヤンシク方面について、非常に厳しい状況との見解を示しながらも、依然としてクプヤンシク北部の両岸で非常に激しい戦闘が続いていると報告した[37]。
クプヤンシクではロシア軍の進軍が停滞している一方、ウクライナ軍は街の中心部や周辺のペトロパヴロフカ、クチェロフカなどの集落で強固な防衛陣地を築き、予備兵力を集結させている。 また、RYBARは最も深刻な問題として、虚偽の成功報告や動画撮影のためだけに兵士を危険な敵地に派遣し、その命を無駄に消費しているロシア軍の実態を挙げている。この問題はドネツク州やハルキウ州方面でよく見られるものであるが、特にクプヤンシク方面では多く行われており、RYBARは幾度となくこの実態を痛烈に批判し改善を呼びかけているが、クプヤンシク方面での実態改善は程遠いものとなっている[38]。RYBARがこれほどまでに、偽旗作戦やロシア軍の偽戦果報告を批判する理由としては、2024年のドネツク州シヴェルシク方面での失敗が挙げられる。2024年のシヴェルシク方面では、クプヤンシクと同様偽の戦果報告が悪癖として蔓延しており、嘘が積み重なった結果、 虚偽の戦果報告に基づいた作戦破綻が起こり、ロシア軍は大損害を被った。シヴェルシク方面ではその後の人事改革に伴う司令官の更迭により、ロシア軍は飛躍的な前進を遂げたが、クプヤンシク方面でも有効な対策をとらない限り、シヴェルシク同様さらに悲劇的な結果を招くとRYBARは警告している[39]。
2026年2月、ロシア軍はクプヤンシクへの占領を諦めてはおらず、オスキル川東岸からの攻勢を強めた。また、攻勢の一環として、ロシア軍はクプヤンシク東部に位置するペトロパブリフカや、ポドリーへの攻撃を行なった。
RYBARの報告によれば、ペトロパブリフカ周辺で激しい戦闘が起こり、ロシア軍内では矛盾した虚偽の報告がなされてきたが、4月中旬にはロシア軍はペトロパブリフカの大部分を占領し、クプヤンシク郊外に位置するポドリーやクプヤンシク周辺までのオスキル川東岸の大部分が戦闘地域になったと報告した[40]。
ISWは、クプヤンシク両岸北部でロシア軍とウクライナ軍の戦闘が起こっており、同時に、ロシア軍がポドリーを超えてオスキル川東岸クプヤンシク中部に侵入したと報告した[41]。
Deep stateは、クプヤンシク方面の戦況について、2026年に入ってからは戦線に大きな変化はないと報告した。
脚注
出典
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- ↑ “ロシア軍、ウクライナ東部で渡河成功・橋頭保構築 当局者”. www.afpbb.com (2025年1月10日). 2025年11月22日閲覧。
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