等乃伎神社
From Wikipedia, the free encyclopedia
位置
北緯34度31分16.3秒 東経135度27分23.4秒 / 北緯34.521194度 東経135.456500度座標: 北緯34度31分16.3秒 東経135度27分23.4秒 / 北緯34.521194度 東経135.456500度
主祭神
天児屋根命
| 等乃伎神社 | |
|---|---|
|
拝殿 | |
| 所在地 | 大阪府高石市取石二丁目14番48号 |
| 位置 | 北緯34度31分16.3秒 東経135度27分23.4秒 / 北緯34.521194度 東経135.456500度座標: 北緯34度31分16.3秒 東経135度27分23.4秒 / 北緯34.521194度 東経135.456500度 |
| 主祭神 | 天児屋根命 |
| 社格等 |
式内社 旧村社 |
| 創建 | 不詳 |
| 本殿の様式 | 三間社流造 |
| 例祭 | 例祭(10月5日) |
| 地図 | |
等乃伎神社(とのきじんじゃ、とのぎじんじゃ)は、大阪府高石市取石にある神社[1]。式内社で、旧社格は村社。

歴史
当神社の案内板によれば、「等乃伎」という名称はかつてこの地を収めていた中臣氏の一支族である殿来連から由来し、『続日本紀』の天平勝宝4年(752年)条に「中臣殿来連竹田売」という人物の名前が残っており、その頃に領地を治めていた中臣殿来連竹田売が祖先である天児屋根命を祀ったことから始まりということになっており、また同年には太政大臣である藤原武智麻呂、その子の大納言である恵美押勝(藤原仲麻呂)が相次いでこの地へ赴き、居住していたとされている[2]。
1908年(明治41年)から翌年1909年(明治42年)にかけて、旧市場村の稲荷社、旧大園村の壺神社、旧土生村の菅原社、旧新家村の大歳社、旧南出村の大歳社を合祀した。
