筑紫茂門
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父が徳川家綱の御守衆支配であったこともあり、家督相続前から御守衆に列して江戸城二の丸に勤める。慶安3年9月4日(1650年9月29日)に西の丸小姓組番士となり、後に本丸の小姓組番士となる。
天和2年(1682年)に板倉重種の信濃国坂木藩への転封において、現地に赴いて重種への城引き渡しのことをつとめる。また貞享2年(1685年)2月15日に使番の保科正静とともに当時天領であった越後国高田城で目付のことを勤める。
元禄5年(1692年)に番を辞して小普請となる。父の代に蔵米取りになっていたが、元禄10年(1697年)の元禄地方直により、上総国長柄郡、夷隅郡、山辺郡および伊豆国加茂郡、那賀郡のうち3000石の地方知行に改められる。
宝永元年(1704年)に子の利門が早死にし、自身も宝永6年(1709年)12月に死去。享年80。法名は宗流。家督は孫の従門が継いだ。