筧裕次郎
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小学校時代は父親が監督を務めるソフトボールチームに所属し、投手として全国大会ベスト16の成績を収める[1]。明石市立魚住中学校時代はヤングリーグの「播州明治ベースボールクラブ」に所属し、2年の途中で明徳義塾中学に転校[2]。
明徳義塾高では入学直後の春季四国大会から三塁手として出場し、クリーンナップを打った[1]。1年秋にはエースナンバーを背負ったが、その後馬淵史郎監督により捕手にコンバートされ、2年夏の第83回全国高等学校野球選手権大会に出場。3年時には副主将で4番・捕手となる[1]。春の選抜は初戦の金光大阪高の吉見一起から本塁打を放つなどの活躍でベスト8。夏には森岡良介らと共に第84回全国高等学校野球選手権大会に出場し、長谷川勇也・小林賢司らを擁する酒田南高校、横川史学・大崎雄太朗・坂克彦らを擁する常総学院高校、西村健太朗・白濱裕太らを擁する広陵高校、鎌倉健を擁する川之江高校などを破り、春夏通じて同校初の甲子園優勝を達成した。高校通算19本塁打。
2002年のドラフトで大阪近鉄バファローズから3巡目指名を受け入団。
2004年に内野手転向。オフには球団合併に伴う分配ドラフトでオリックス・バファローズへ移籍した。
2005年は9月27日に初の一軍昇格。翌日の試合で一軍初出場を果たしたが、出場したのはその1試合のみで二軍に戻った。
2006年はチーム事情により再び捕手登録となったが、ウエスタン・リーグでは二塁手としての出場が最も多かった。
2007年は再び内野手登録となり、二軍では二塁手以外に遊撃手、三塁手としても出場した。オフの12月には挙式することが報じられ、同月19日には登録名を「裕次郎」に変更することが発表された。
2008年は二軍でも48試合に出場して50打席と出場機会は少なく、打撃成績も打率1割台に終わった。10月3日に球団から戦力外通告を受け、その後12球団合同トライアウトに参加するもオファーはなかった。
現在は父親が監督を務める少年野球チーム「明石ボーイズ」のヘッドコーチを務めている。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | オリックス | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 通算:1年 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
年度別守備成績
| 年 度 | 球 団 | 二塁 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
| 2005 | オリックス | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
| 通算 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |
記録
- 初出場:2005年9月28日対西武ライオンズ20回戦(インボイスSEIBUドーム)、6回裏に二塁手として途中出場
- 初打席:同上、8回表に山岸穣から三飛
背番号
- 57 (2003年 - 2008年)
登録名
- 筧 裕次郎 (かけい ゆうじろう、2003年 - 2007年)
- 裕次郎 (ゆうじろう、2008年)