箭括麻多智
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『常陸国風土記』に以下のような話が記録されている。
石村(いわれ)の玉穂の宮に大八洲(おおやしま)所馭(しろしめ)しし天皇(継体天皇)の世に、箭括の氏の麻多智が行方郡の郡衙の西の葦原を開発し、新田を切り開いたという伝承がある。その際に、夜刀神(蛇神)が群れをなして、仲間を引き連れて妨害をしたという。麻多智はこの夜刀神の所業に対して腹を立て、甲鎧をつけて、自ら仗(ほこ)を手にとって、この神々を打ち殺し、駆逐した。そして、山の入口に至り、標識として大きな杖を境界の堀に立てて、夜刀神に以下のように告げた。
「これより上は神の土地とすることを許そう。これより下は人の田としよう。今後、私は神の祝となって、永く敬い祭ってやろう。願わくは祟ることも、恨むこともしないで欲しい」
そう言って、その地に社を設けて、初めて夜刀神を祭ったという。それから耕田10町あまりを開発し、麻多智の子孫が継承して祭を行い、今日(風土記の時代)に至っている、という[1][2]。