篠崎宏道 From Wikipedia, the free encyclopedia 出身地 和歌山県生年月日 (1959-06-01) 1959年6月1日(66歳)身長体重 175 cm73 kg投球・打席 右投左打篠崎 宏道基本情報出身地 和歌山県生年月日 (1959-06-01) 1959年6月1日(66歳)身長体重 175 cm73 kg選手情報投球・打席 右投左打ポジション 内野手、外野手経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) 選手歴 和歌山市立和歌山商業高等学校 近畿大学 松下電器 コーチ歴 パナソニック(2014 - 2015) この表について この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 篠崎 宏道(しのざき ひろみち、1959年6月1日[1] -)は、和歌山県出身の元アマチュア野球選手である。ポジションは内野手、外野手。 市立和歌山商業高等学校[2]では、左翼手として活躍し、1977年の和歌山県大会準決勝でエースの木下透がいる田辺高校に延長15回の末に敗れて、甲子園出場を果たすことができなかった。高校卒業後は、近畿大学に進学する。 近大では、三塁手として出場し、打線の一角に加わる。関西六大学野球リーグでは、1981年の春季リーグでは、関西大学を破り、優勝に貢献した[3]。同年の秋季リーグでも関大を破り、優勝を果たした[4]。同年の大学選手権にも出場したが、チームは決勝で平田勝男らを擁する明治大学に敗れた[5]。秋の明治神宮大会は準決勝で田中富生、木戸克彦のバッテリーで臨んだ法政大学との投手戦となるが小早川毅彦の決勝打で惜敗。 1981年のドラフト会議で近鉄バファローズから4位指名されたが入団を拒否し、大学卒業後は、松下電器に入社する[6]。入社後は外野手、一塁手として活躍し、1991年の都市対抗野球では、10年連続選手に選ばれた。 引退後は、大阪府立大学野球部やパナソニックでコーチを務めた[7]。 脚注 [脚注の使い方] ↑ サンデー毎日臨時増刊7月26日号 第85回都市対抗野球ガイドブック 毎日新聞社 ↑ “時空甲子園:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2020年6月30日閲覧。 ↑ 1981年5月12日 朝日新聞 朝刊(大阪) p15 ↑ 1981年10月28日 朝日新聞 朝刊(大阪) p17 ↑ 1981年6月11日 読売新聞 朝刊 p16 ↑ “過去のドラフト 第17回(1981年) - ドラフト会議 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2020年6月30日閲覧。 ↑ “2015年度 パナソニック野球部 活動報告 | 活動レポート | 野球 | パナソニック スポーツ | Panasonic”. panasonic.co.jp. 2020年6月30日閲覧。 関連項目 近畿大学の人物一覧 表話編歴近鉄バファローズ - 1981年ドラフト指名選手指名選手 1位:金村義明 2位:小山昌男 3位:加藤正次(入団拒否) 4位:篠崎宏道(入団拒否) 5位:中馬賢治 6位:住友一哉 Related Articles