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小山昌男

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国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府堺市
生年月日 (1963-08-30) 1963年8月30日(62歳)
身長
体重
185 cm
79 kg
小山 昌男
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府堺市
生年月日 (1963-08-30) 1963年8月30日(62歳)
身長
体重
185 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1981年 ドラフト2位
初出場 1983年5月7日
最終出場 1988年4月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小山 昌男(こやま まさお、1963年8月30日 - )は、大阪府堺市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。

小学校3年時に「榎ビクトリー」で野球を始める。三国ヶ丘中学校に進学。

78年の近畿大会で優勝。

天理高では、1年夏の第61回高校野球選手権に背番号15でベンチ入り。続く2年夏の第62回高校野球選手権では背番号11ながら右のエース格として出場し、同じ2年生で左腕エースの川本和宏、4番・三塁手の藤本博史とともにベスト4入りに貢献[1]。その後は秋に起きたチームで起きた不祥事のため丸1年の対外公式試合禁止の処分を受け、3年時の甲子園行きのチャンスを棒に振ることになる。しかし、甲子園での実績や素質を見込まれ1981年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから2位指名を受け入団[1]。チームメイトの藤本は4位で、川本は6位で南海ホークスへ入団した。

高卒ながらプロ2年目の1983年に一軍初登板を果たし、その後は小野和義と共に近鉄の若手2本柱として活躍する。しかし、故障により1989年からは一軍登板はなく、1990年にはサイドスローに転向を試みるも結果を出せず、1991年に現役を引退する。翌年は韓国プロ野球サンバンウル・レイダースに入団予定であったが直前になって見送られた[1]。

詳細情報

年度別投手成績

年

度
球

団
登

板
先

発
完

投
完

封
無
四
球
勝

利
敗

戦
セ
丨
ブ
ホ
丨
ル
ド
勝

率
打

者
投
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回
被
安
打
被
本
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打
与
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敬

遠
与
死
球
奪
三
振
暴

投
ボ
丨
ク
失

点
自
責
点
防
御
率
W
H
I
P
1983 近鉄 114000220--.50013531.03131201140021185.231.39
1984 2215211630--.66741192.0109102902360058444.301.50
1985 2525100670--.462609133.2155205206440089835.591.55
1986 97201520--.71421952.04821531251021183.121.21
1987 1815211460--.40032975.289151602360049404.761.39
1988 11000010--.000101.1600000004320.254.50
通算:6年 866772323210--.5231713385.243850124312155102422064.811.46

記録

背番号

  • 45 (1982年 - 1991年)

脚注

関連項目

外部リンク

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