米本恭三
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1958年に東京慈恵会医科大学を卒業する。1963年に同大学院を修了し、整形外科学教室・第二生理学教室の助手となった。1970年から1971年まで東京大学医学部脳研究施設・神経内科に国内留学する。1972年から東京慈恵会医科大学整形外科講師となり、1977年に助教授、1983年から教授に就任しリハビリテーション科、体力医学研究室を担当した。1988年にリハビリテーション講座主任教授の後に、1993年から2003年まで東京慈恵会医科大学付属第三病院病院長、1995年から1998年まで同大学理事となる。1998年に名誉教授を授与され、東京都立保健科学大学学長に就任する。東京都立四大学改編に関わり、首都大学東京への移行を担った。2006年に首都大学東京名誉教授となる。
1964年、東京慈恵会医科大学 医学博士 学位論文の題は「脊髄性小児麻痺手術の遠隔成績」[1]。
この間、1975から1976年までワシントン州立大学へ客員教授として留学。1978年から2000年に国立精神・神経センター神経研究所客員研究員、1996~2003年に北海道大学客員教授、1994~1998年に日本リハビリテーション医学会理事長、1997年に国際リハビリテーション医学会副会長、1998年に日本保健科学学会会長、1997年から1998年まで慈恵看護専門学校校長を歴任した。その他に、日本リハビリテーション医学会名誉会員、日本体力医学会名誉会員、日本レーザー治療学会理事、日本障害者リハビリテーション協会理事、1989から1995年まで医師国家試験委員を歴任した。また東京都などの公共機関で各種委員を務めた。
医師としては日本リハビリテーション医学会認定リハビリテーション科専門医、日本整形外科学会認定整形外科専門医、日本神経学会認定神経内科専門医である[2]。
娘は漫画家の一本木蛮。
2024年12月23日、帰天した。
受賞歴
- 1994年:都知事賞
- 1996年:マルチメディア・グランプリ'96特別賞(パッケージ部門)
- 1999年:Best Original Research賞(第23回Williamsburg Conference)[4]