旧長瀞藩主・米津政敏の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1895年(明治28年)11月22日、子爵を襲爵した[3][4][5]。
学習院中等科、第六高等学校を経て[3]、1908年(明治28年)7月、東京帝国大学農科大学を卒業[2][3][4]。同年、農商務省嘱託となる[2]。以後、農商務省種畜牧場嘱託、農林省嘱託、同畜産試験場嘱託、畜産博覧会審査官、第2回神奈川県有畜農業経営共進会審査長などを務めた[2][4]。
1915年(大正4年)6月12日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して活動し[2]、死去するまで5期在任した[2][4]。