米谷徳也 From Wikipedia, the free encyclopedia 生年月日 不詳没年月日 1943年11月25日 ギルバートおよびエリス諸島ポジション MF 米谷 徳也 基本情報生年月日 不詳没年月日 1943年11月25日 ギルバートおよびエリス諸島選手情報ポジション MFユース 早稲田大学クラブ1年 クラブ 出場 (得点)1940 早稲田WMW 代表歴1942 日本 0 (0) 1. 国内リーグ戦に限る。■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj 米谷 徳也(1919年 - 1943年11月25日)は、日本のサッカー選手。 早稲田大学在学中はア式蹴球部に所属。在学中の1938年6月に開催された全日本選手権(現在の天皇杯全日本サッカー選手権大会)で優勝、翌1939年6月の全日本選手権で準優勝した。また、1940年5月の全日本選手権では立原元夫や川本泰三らと共に早稲田WMWの一員として準優勝に貢献した。同じく在学中の1942年に開催された満州国建国十周年慶祝東亜競技大会の日本代表に立原や金容植らと共に選出され、1試合に出場した[1]。 その後、太平洋戦争に伴って従軍。1943年11月、ギルバート諸島で戦死した[2]。墓所は多磨霊園(20-1-21) 所属クラブ 早稲田大学 早稲田WMW 代表歴 出場大会 1942年:満州国建国十周年慶祝東亜競技大会 試合数 1試合 0得点 (1942) 日本代表国際Aマッチ その他期間通算 年出場得点 出場得点出場得点 1942001010 通算 001010 脚注 ↑ “[1942.8.10 新京]”. 日本サッカー協会. 2014年9月4日閲覧。 ↑ “平成23年特別展「スポーツと靖国神社―スポーツと共に生きた英霊たち―」の会期延長のお知らせ”. 遊就館. 2014年9月4日閲覧。 所属クラブ 早稲田大学の人物一覧 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。表示編集 Related Articles