粟飯原常世
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長門国阿武郡椿郷西分村(現山口県萩市)で、長州藩士・粟飯原衛門兵衛の長男として生まれた[3]。四境戦争、鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争での奥州各地の戦闘に参戦した[3]。
1872年(明治5年)2月、陸軍少尉に任官[4]。西南戦争では別働狙撃大隊(長:河野通好少佐)の第1中隊長を務め、佐賀県を転戦のち熊本城下守備につく[5]。1891年(明治24年)4月に陸軍歩兵中佐・歩兵第19連隊長に補任され、第3師団・桂太郎中将隷下で日清戦争に出征し、海城攻防戦にて奮戦した[1][4][6]。
その後、1894年(明治27年)11月に陸軍歩兵大佐、1896年(明治29年)9月には本職を免じられ歩兵第14連隊長に補され、翌年の1897年(明治30年)12月に陸軍少将・歩兵第7旅団長に任官する[1][4][7][8]。
1900年(明治33年)3月に休職するが、のち復職し、留守歩兵第20旅団長、そののち後備歩兵第5旅団長となり日露戦争に出征した[1][9]。1905年(明治38年)11月、予備役[1]。