紙敷の野馬除土手
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「野馬土手」と「野馬除土手」
→詳細は「小金牧」を参照
江戸時代、千葉には小金牧、佐倉牧などがあった[2]。小金牧は、徳川家康が江戸を本拠地とした後に整備し始めた牧であり、現在の松戸市、柏市、鎌ヶ谷市にかけて広がっていた[3]。総延長は160キロメートルだったともいわれている[4]。

「野馬土手」は主に「牧から馬が逃げ出さないように作られた」もの、「野馬除土手」は主に「牧内の馬が人里に入らないように設けられたもの」という違いがある[5]。
紙敷の野馬除土手は小金牧のうちの中野牧に含まれており[6]、牧と村の境界に設けられた高さ50センチメートル前後から3メートル前後までの土手であり、逃走した馬が村や農地に侵入することを防ぐ役割を担っていた[7][3]。長雨や嵐で崩れた際には村人が修復していた[8]。長さ4キロメートル以上の二重土手だったという記載がある資料もある[9]。良い馬を選別するための「野馬捕り」を経て、江戸に献上されたという[1][2]。
また、享保の改革時において、馬の広く深い知識を持つ徳川吉宗は、陸奥白河の牝馬20頭を購入し、この土手のある「紙敷お囲い」に放った[10]。

