高知県幡多郡八束村(現・四万十市)出身[3]。実母は小野藤で、小野家は土佐国(現・高知県)で代々代官をしていた名家であった[2]。父方の細木姓を名乗った[2]。
十代の頃東京に出て、神田神保町にあった永易弁護士事務所というところに書生のような形で入り込んだ[2]。1906年、明治大学卒業[4]、明法学士である[1]。身の上その他判断を行う(商号は月桂堂)[5]。
民政党院外団の壮士[注 2]として活動した。新聞沙汰になるような事件を起こして東京を離れ、富山へ逃げた[2]。
落合の家では一時、高島易断支部の看板をかけ、本部から文句が出てやめてからは、生命保険会社の代理店を始めた[2]。
大東亜戦争が始まる頃、政治活動から身を引き、渋谷百軒店で「ロマンスクラブ[注 3]」という名前のカフェを始めた[2]。