絨毯爆撃
地域一帯に対して行われる無差別な爆撃
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歴史

1921年、イタリア軍の将軍ジュリオ・ドゥーエは著書『制空』において、これからの戦争は兵士・民間人の区別がない総力戦であること、空爆により民衆はパニックを起こし、自己保存の本能に突き動かされ戦争を終わらせろと要求するようになるであろうことから、空爆のテロ効果を強調して無差別爆撃論を提唱し、最小限の基盤である民間人に決定的な攻撃を向けられれば戦争は長続きせず、長期的に見れば流血が少なくなるのでこのような未来戦は遥かに人道的であると主張し、さらに人口密集地の住民への攻撃手段として高性能爆弾・焼夷弾・毒ガス弾を挙げた[2]。
1937年4月26日、スペイン内戦下でスペイン北部・バスク州の小都市ゲルニカがフランコ将軍を支援するナチスのコンドル軍団によって空爆された。このゲルニカ爆撃こそが、焼夷弾を本格的に使用した最初の空襲であり、世界初の無差別爆撃でもある。ピカソの『ゲルニカ』は、同名の都市への無差別絨毯爆撃に際し描かれたものとして著名である。1938年から1943年まで日本によって継続的に行われた重慶爆撃も、後期には市街地への絨毯爆撃となった[3]。
第二次世界大戦では、1944年の北フランスで行われた連合国軍の「コブラ作戦」において、珍しい例として軍事目標への戦術爆撃としての絨毯爆撃が行われている。戦争末期の1945年には、アメリカはドレスデン爆撃で無差別爆撃を行い、日本本土空襲では精密爆撃から無差別爆撃まで、焼夷弾、核兵器の使用も含む爆撃を継続的に実施した[4]。
