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綿愉

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続柄 嘉慶帝第5皇子
称号 恵端親王
身位 恵親王
愛新覚羅 綿愉
続柄 嘉慶帝第5皇子

称号 恵端親王
身位 恵親王
出生 嘉慶19日2月17日(1814年3月8日)
死去 同治3年12月12日(1865年1月9日)
父親 嘉慶帝
母親 恭順皇貴妃鈕祜禄氏
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恵端親王綿愉(めんゆ、嘉慶19日2月17日[1](1814年3月8日) - 同治3年12月12日(1865年1月9日))は、清の嘉慶帝の第五子。諡号は「端」[1]。母は恭順皇貴妃。慧愍固倫公主を含む二人の同母姉がいたが、夭折した。嘉慶帝の皇子たちの中で、最も最後まで生きた皇子であり、道光帝を除けば最も長寿であった皇子であった。

綿愉は嘉慶19年(1814年)2月17日の丑の刻に、如妃ニオフル氏(鈕祜禄氏、後の恭順皇貴妃)を生母として、嘉慶帝の第五皇子として生まれた。また彼は嘉慶帝の最年少の皇子でもあった。

嘉慶25年(1820年)7月、父の嘉慶帝が崩御し、兄の道光帝が即位した。同月、綿愉は多羅恵郡王に封ぜられた[1]が、これが嘉慶帝によるものか道光帝によるものかは明らかでない。

道光19年(1839年)正月、和碩恵親王に晋封された[1]。太平天国の北伐の際には、奉命大将軍を務めた。彼の文集として『愛日斎集』がある。

同治3年12月12日(1865年1月9日)、綿愉は死去し、諡号は「端」とされた。第五子の奕詳が爵位を継いだが、郡王に一等降格して襲封した

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