綿愉
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綿愉は嘉慶19年(1814年)2月17日の丑の刻に、如妃ニオフル氏(鈕祜禄氏、後の恭順皇貴妃)を生母として、嘉慶帝の第五皇子として生まれた。また彼は嘉慶帝の最年少の皇子でもあった。
嘉慶25年(1820年)7月、父の嘉慶帝が崩御し、兄の道光帝が即位した。同月、綿愉は多羅恵郡王に封ぜられた[1]が、これが嘉慶帝によるものか道光帝によるものかは明らかでない。
道光19年(1839年)正月、和碩恵親王に晋封された[1]。太平天国の北伐の際には、奉命大将軍を務めた。彼の文集として『愛日斎集』がある。
同治3年12月12日(1865年1月9日)、綿愉は死去し、諡号は「端」とされた。第五子の奕詳が爵位を継いだが、郡王に一等降格して襲封した