総持寺 (豊岡市)
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位置
北緯35度28分48.3秒 東経134度52分43.3秒 / 北緯35.480083度 東経134.878694度座標: 北緯35度28分48.3秒 東経134度52分43.3秒 / 北緯35.480083度 東経134.878694度
山号
応峯山
宗派
高野山真言宗
| 総持寺 | |
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| 所在地 | 兵庫県豊岡市出石町宮内1734 |
| 位置 | 北緯35度28分48.3秒 東経134度52分43.3秒 / 北緯35.480083度 東経134.878694度座標: 北緯35度28分48.3秒 東経134度52分43.3秒 / 北緯35.480083度 東経134.878694度 |
| 山号 | 応峯山 |
| 宗派 | 高野山真言宗 |
| 創建年 | 伝・天平年間(729年~749年) |
| 開基 | 伝・行基 |
| 法人番号 | 7140005012598 |
諸説あり、寺伝によれば行基が天平年間に天日槍が新羅から招来した聖観音自在菩薩を本堂に安置し、一六区の僧坊を建てたことに始まるとされる。 他の説は総持寺の背後に標高300メートルの山上にあった涅槃寺がのちに下山して、総持寺に改められたとの説がある。 平安時代以降は、出石神社の神宮寺となって祭祀に関与したといわれる。永正元年(1504年)山名氏の内紛による兵火によって全焼し、 再興がいつ完成したかは不明であるが、大永2年(1522年)には東光院・千手院など十四の坊があったとされる。[1]創建時の堂宇は嘉永3年(1850年)の豪雨で倒壊したが、2年後の嘉永5年(1852年)に再建され、仏師を京都より招いて仏像を修復したといわれる[2]。