緒方道平
From Wikipedia, the free encyclopedia
備中国下道郡矢田村(現・岡山県倉敷市)において郷士であった父妹尾康信の三男として生まれた[1]。
1866年(慶応2年)、摂津国名塩村の蘭医伊藤慎蔵に師事し、次いで伊藤の師である大阪の緒方洪庵について蘭学を学んだ。ここで蘭学者緒方研堂から子弟を託され、研堂の養子となって緒方姓を名乗ることとなる。1872年(明治5年)、緒方は上京し、ドイツ語通訳としてウィーン万国博覧会で日本館を出展する田中芳男、津田仙、佐野常民らに随行してオーストリアに渡航した。このときの渡航には、陶芸家のゴットフリード・ワグネルや、医師のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの長男アレクサンダー、二男ハインリヒも参加している[1]。次いで佐野の命によってマリヤブルン農業森林高等学校で植樹法、伐採法、森林法および木材学を学習したたうえ各地を視察し、1874年11月に帰国した[1]。
1875年(明治8年)からは、松野礀とともにドイツ・オーストラリアの山林学を極めたものとして、地理寮山林課に勤めた。
1880年(明治13年)には、太政官(政表)、統計院に務める。1885年(明治18年)まで統計第六仮課長[3]。
1887年(明治20年)5月、山形県に書記官として赴任した[4]。1890年(明治23年)11月に山形県参事官となり、1892年(明治25年)11月に福岡県書記官に転じる[2]。1897年(明治30年)5月、依頼免官[5]。
その後、福岡農工銀行の創立に携わり、1898年(明治31年)の創業から1921年(大正10年)に同行が日本勧業銀行に吸収合併されるまで頭取を務めた[2]。