埼玉県南埼玉郡粕壁町(現・春日部市)の人[2][5]。豪農で米問屋練木庄八の長子[2]。年少にして経世の志を抱き、自由民権の説に心を傾け、板垣退助の自由党に身を投じ、進んで郷里に自助館を創設し推されてその館主となる[2]。
実業界に入り、同志と共に粕壁銀行を創設し取締役兼支配人となり、郷党の財界に貢献する[2]。1898年に居を東京に移して、実業のために尽瘁努力し、練木合資会社を創設し自ら社長となり企画経営の衡に当る[1]。また同志会監査役[2]、生秀館監査役[2]・同取締役[6]などをつとめる。