大和国内で300石を領有する旗本・織田信清の三男として江戸にて誕生した。生家は、織田信雄の子孫である宇陀松山藩織田家の分家である。
享保11年(1726年)8月16日、先代藩主・秀行の末期養子として家督を相続する。同年8月18日、8代将軍・徳川吉宗に御目見する。同年12月16日、従五位下下野守に叙任する。享保18年(1733年)4月26日、織田信長の居城であった安土城跡を訪れる。元文元年(1736年)5月4日、駿府加番を命じられた。
寛保元年(1741年)8月13日、死去。享年31。墓所は奈良県天理市柳本の専行院。法号は峯徳院殿普光宗智大居士。