織田正吉
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受賞歴
兵庫県神戸市出身[3]。神戸大学法学部卒業[3]。大学在学中から漫才台本等の執筆を行うかたわら、漫画の雑誌投稿の常連となり、やがて鈴木義司ら東京の学生漫画家グループ「漫画エポック」[5]に参加するにいたり、上京[6]。しかし「天才とはこういう人のことかと思った[6]」とのちに述懐するほどの鈴木の量産ぶりを前に、漫画家としての活動に「早々と見切りをつけ[6]」、東京を去った。織田の画才は『笑話の時代 立ち読み演芸館』のカットイラストに見ることができる。
1953年にNHK主催の漫才台本コンクールで入選。この作品は内海突破・並木一路が演じた。神戸市役所に13年勤務した後に退職し、専業の作家としてラジオ・テレビの演芸番組の構成[3]、漫才台本・新作落語の執筆[3]を行うようになる。関西笑芸界の長老として、上方お笑い大賞(2006年まで)、NHK新人演芸大賞の審査員をつとめる。
人物
- ジョーク・ユーモア研究研究家として
演芸作家・放送作家のかたわら、ジョーク・ユーモア研究を行い、関連する著書を執筆している。
- 百人一首研究家として
著書『絢爛たる暗号 百人一首の謎をとく』で百人一首に関し、藤原定家が後鳥羽上皇と式子内親王への鎮魂の思いを込めて歌を選び、それがわからないように時代順に並べ替えたものであるとする新説を提唱した。この説に至る過程で織田が採用した手法は、同じ語句や反意語を持つ歌を相互につなげていくという、パズル的なものであった。作家の田辺聖子が著書『田辺聖子の小倉百人一首』の中で同書を「百人一首には決して秀作や代表作とは言えない歌も少なくないという、古来からの疑問に対する答えを提示したもの」と絶賛した。
なお、のちに経済学者の林直道がこの手法を模倣したと見られる著書を出したため、織田は別の書籍『百人一首の謎』の「あとがき」で、林説の論理の破綻している点を列挙して批判した。織田は、自分の場合は関係のある歌をつなげていったところ18x18のパズルを発見したが、林説はまず10x10(百首だから)のパズルありきで、そこに後から歌を並べて行くのでこじつけが多くなるのは当然だと述べている。