織田翔希
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経歴
北九州市立足立小学校1年時から「足立クラブ」で野球を始め、3年時から本格的に投手を務める。北九州市立足立中学校時代は同校の軟式野球部に所属し、3年時には最速143km/hを計測して全国大会に出場した。
高校時代
横浜高等学校では1年時春からベンチ入りを果たし、秋季関東大会準々決勝の東農大二戦で公式戦初完投初完封を達成すると、明治神宮野球大会でも明徳義塾相手に2安打完封した。
2年時春の第97回選抜高等学校野球大会では、奥村頼人との2枚看板として活躍し、チームの選抜甲子園優勝に大きく貢献した。同年夏はベスト8になった。
3年時の春季関東大会の浦和学院戦でリリーフとして最速154km/hを計測。同年夏の第108回全国高等学校野球選手権大会ではエース背番号「1」を背負って出場。準々決勝の花巻東戦などで、当時甲子園史上最速記録の156km/hを出した。先発でありながら試合を通して平均152km/h台の直球を叩き出す圧倒的な投球を見せ、チームのベスト4進出を牽引。しかし、準決勝の智弁和歌山戦では3ラン本塁打を被弾したことがひびき、惜しくも敗退した[1]。
2026年10月15日、横浜高校で会見に臨んだ織田は、卒業後の進路について「自分の最終目標である世界一のピッチャー、世界で活躍するという目標に向け、アメリカの地で挑戦することに決めました」と述べ、アメリカの地で挑戦することを明らかにした[2]。
代表歴
2026年8月22日、日本高校野球連盟より同年9月に台湾・台北市で開催される第14回 BFA U-18アジア選手権大会の高校日本代表メンバー18名に選出されたことが発表された[3]。
選手としての特徴
最速157km/hのストレートが最大の武器であり、高い奪三振能力と完投できるスタミナを兼ね備える。変化球はカーブ、スライダー、チェンジアップ、フォークがある。
その実力からNPBだけではなくMLBのスカウトも注目している。なお織田は「自分の口からは何も言っていない」と話し、これから考えていくと話した[4]。