置始大伯
From Wikipedia, the free encyclopedia
出自
経歴
白雉5年(654年)2月、高向玄理を押使、河辺麻呂を大使とする遣唐使の一員(遣唐判官)となった。このとき大伯の位は小乙上であった。この遣唐使は斉明天皇元年(655年)8月に帰国した。
『日本書紀』の壬申の乱のくだりに置始大伯の名は現れないが、次に述べる窃盗事件の詔で、大海人皇子側で活躍したことがわかる。
持統天皇7年(693年)4月22日、盗みの犯人として大伴男人、置始多久、菟野大伴を、見逃した罪で巨勢邑治を裁く詔が下された。具体的内容は記されていないが、罪に問われた官人の役職から、官物横領と思われる。置始多久はこのとき鍵を管理する典鑰であった[3]。位一階を下げ、官を解かれることになったが、壬申の年の功によって特別に赦され、贓物の返済だけでよいとされた。