美詩える
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父は俳優、漫才師の南道郎。4人きょうだいの第2子だが[1]、母親が同じなのは兄だけで、二人の妹は共に母親が異なる(長妹は父の2回目の結婚の時の、次妹は3回目の結婚の時の子)。次妹(三女)は劇団東俳に所属していたタレント・根岸未来。6歳の時からモダンバレエをやっており、コンクールには常に出場を決め、小学5年生の時には文部大臣賞を受賞している[1]。小学生時代、将来なりたかった職業は薬剤師、医師だったという[1]。
1969年、宝塚音楽学校入学。
1971年、宝塚歌劇団に57期生として入団[3]。入団時の成績は12番[3]。花組公演「花は散る散る/ジョイ!」で初舞台[3]。
1972年、花組に配属[3]。同年より関西テレビ『ザ・タカラヅカ』に「バンビーズ」の一員として出演[2][1][4]。
1973年6月29日付で宝塚歌劇団を退団[3]。
退団後はラジオのDJとして独立し、主に大阪を中心に活動[2][1][4]。独立のきっかけを与えたとされている関西テレビディレクターの林宏樹は、この当時の当人の印象として「素直さと頭の回転の速さがあるが、人一倍感受性が強いために宝塚ではどうかなと思っていたが、あのナイーブさが生きてくれば、彼女の世界は無限だと思う」と話し、独立するにあたって友人らに紹介したという[1]。
その後フォークコンサートの司会をしていた時に知り合った諸口あきらやフォークグループの三輪車らに「音楽の才能があるから」として勧められ、フォークソングのシンガーソングライターに転身[1][4]。1975年2月21日、自ら作詞・作曲したシングル『おとずれ』(ポリドール)で歌手デビュー[4]。この曲は、小説や漫画の主人公になり切って作ったという[1]。この曲はまず大阪から人気が出て、その後全国区へ広がっていったとされている[2]。
ラジオでの活動も、大阪中心から『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の初代アシスタントなど全国区の番組にもレギュラー出演。
得意なスポーツは水泳で、特級の腕前があったとのこと[2]。趣味は映画を観ること、寝ること[2]。また、小学生の頃から散文的な詩を書きためており、1975年の時点で200を超える詩集があったとのこと[2]。人生の哲学者のようなもの、メルヘン的な夢を綴ったものが多いと紹介されている[2]。