羽仁未央
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幼い頃から海外生活が長く、5歳から7歳をパリで、9歳から11歳を父親の製作したテレビドキュメンタリー番組動物家族の撮影に同行しケニアで過ごす。小学4年生の時に父・進の進言もあって学校教育を否定し[1]、話題になる。それ以後は学校に通わず、学校教育も受けず、家で教育を受ける。ホームスクーラーの先駆けとも言える存在。
10代の頃からコラムや映画の批評、短編小説、エッセイ等を執筆し1987年から香港在住[2][3]。
11歳の頃、ブラム・ストーカー原作の『吸血鬼ドラキュラ』の漫画版(作画・望月三起也)を読み、父親の進と共に原作が書かれたルーマニアへ、ドラキュラ探しの旅に出たことがある。ドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュの墓があるとされる湖の修道院まで探索するほど入れ込んだが、後世の画家が描いたヴラドの肖像画がハンサムでなく、ガッカリしたという[4]。
1982年、ナンセンスSFコメディ「ヘリウッド[5]」で映画に出演。1991年、香港映画「妖獣大戦[6]」で監督と脚本を手掛けた。
1998年、香港が中国返還される頃にわたり、返還期の香港についてテレビ朝日系列のニュース番組『ニュースステーション』にてシリーズでレポート。しばらく、香港、シンガポール、日本を行き来しつつ活動していた。
このほかにも、アジア中心のドキュメンタリー番組などを制作。晩年はインターネットを主軸にして活躍しており、アジアチャンネル、MonjaKids.comなどのコミュニティーサイトを手掛け、香港に会社を持ち、日本と香港で主な活動を行っていた。
1999年、NPOのオルタナティブ大学であるシューレ大学のアドバイザーとなる。
2001年、実母の左幸子が死去したが、両親の離婚後は彼女と交流が無かったことを理由に、父親の羽仁進と継母で幸子の妹の喜美子と共に葬儀を欠席した。
2006年、荒戸映画事務所が製作した『ゲルマニウムの夜』(原作:花村萬月、監督:大森立嗣)にて、スーパーバイザーを務める。