建安年間(196年~)侍中であり、杜畿が荊州から帰還すると許都の屋敷で終夜語り合った。この時、荀彧の屋敷も棟続きだったため彼らの会話を聞いており、翌日、耿紀に人を遣って「国士(優れた人物)を推薦せずにどうしてその位にいるのか」と告げた。[3]
曹操に高く評価され、丞相掾を務め、少府を兼任していた。
218年、金禕・吉本らと共に曹操への反乱を決意し、許昌で反旗を翻す。この乱は数日で王必に平定され、耿紀は捕縛されたのち、処刑された。
処刑の前、曹操へ向かって「恨むのは自らが事を謀らずに、童どもに狂わされたことだ」と言ったという[4]。