聖應寺
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位置
北緯35度04分06.1秒 東経137度01分6.9秒 / 北緯35.068361度 東経137.018583度座標: 北緯35度04分06.1秒 東経137度01分6.9秒 / 北緯35.068361度 東経137.018583度
山号
平野山
宗派
曹洞宗
| 聖應寺 | |
|---|---|
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| 所在地 | 愛知県豊明市沓掛町森元17 |
| 位置 | 北緯35度04分06.1秒 東経137度01分6.9秒 / 北緯35.068361度 東経137.018583度座標: 北緯35度04分06.1秒 東経137度01分6.9秒 / 北緯35.068361度 東経137.018583度 |
| 山号 | 平野山 |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 本尊 | 釈迦如来 |
| 創建年 | 永禄11年(1568年) |
| 開基 | 別喜右近 |
| 中興年 | 寛永年間(1624年~1644年)初期 |
| 中興 | 護奕和尚 |
聖應寺(しょうおうじ、聖応寺)は、愛知県豊明市沓掛町森元17にある曹洞宗の寺院。山号は平野山[1]。本尊は釈迦如来[1]。
二村山に飛地境内を有する。豊明市における曹洞宗寺院には、中本寺格の聖應寺を中心とした一派、曹源寺を中心とした一派の二派がある[1]。
創建
永禄11年(1568年)、別喜右近によって臨済宗の久護山慶昌寺として開創された[2][1]。天正7年(1579年)6月6日に右近が没すると[2][1]、しばらくは無住となって荒廃した[3]。
近世
寛永年間(1624年~1644年)初期に平野金左衛門によって再興され、名古屋城下の大光院2世である護奕和尚を勧請して再興開山とした[1]。この際に曹洞宗に改宗し、また平野山聖應寺に改称した[1]。寛永年間には長盛院が開創され、聖應寺2世の蟠山梵龍大和尚が開山となっている[4]。
明和元年(1764年)に禅源窟(後の禅源寺)が創建された際には、聖應寺2世の月耕灌田大和尚が開基となっている[5]。織田家の家臣である簗田政綱は桶狭間の戦いの戦功によって沓掛城を与えられたことから、聖應寺は織田信長と織田信忠の位牌を有する[2]。
近代
1870年(明治3年)、聖應寺出身の諸嶽奕堂が曹洞宗大本山である加賀国の總持寺貫主となった[6]。愛知郡沓掛村西部には聖應寺に加えて、浄土宗の慈光寺と真宗大谷派の正福寺がある[7]。